人とは、何者なのでしょう。あなたがこれに心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
詩篇8:4
先日、韓国に住む長男からラインが来ました。
「僕は赤ちゃんの時、どんな子どもだった? 手がかかる子どもだった?」と聞いてきました。
どうやら、何かを悩んでいる様子…
そして、長男はどんな子どもだったんだろう…と
私は、過去の記憶を辿りました。
長男は、よく食べたし、よく寝た。
意味が分からず泣くことがなかった。
病気にもあまりかからなかったし、育てやすかった。
強いて言えば、
色んな事に興味津々過ぎて、追いかけるのが大変だったな~と
色々な場面が思い出されました。
私は子どもは2人ですが、長男と次男の間に里子を2人育てています。
その里子の幼児の記憶がとても濃く…
長男の幼児の記憶が…💦
そして、記憶を辿るなかで、1つ凄く感謝な記憶が蘇りました。
今日はそれを記録しようと思います。
長男が生まれた時「自分の知っている事を全て教えよう」と思いました。
信仰はもちろん、知識も。
私が持っている知識は大したことはありませんが、
生まれて来た子どもと比べると、私には莫大な知識があるのです。
だから、1つずつ話そうと思い、
沢山の声かけをしました。
例えば、道にたんぽぽが咲いていたら
「たんぽぽ」という名前だけでなく、
日本たんぽぽと、西洋たんぽぽの違い。
タンポポは「多年草」だという事も教えました。
花には、多年草、一年草、宿根草があると教えました。
そして「信仰は多年草であり、宿根草であるべき」ということを
話しました。(今考えたら、どこまで理解していたのかは不明…)
長男が2、3歳ぐらいの時、
自転車に乗せていた時、高架下を通りました。
そして私は自転車を停め「あー」と声を出しました。
すると声が反響します。
何度か繰り返し、そして自転車を高架下から離して
「あー」と何度か聞かせ、
また高架下へ。そして「あー」という声が反響する事を感じさせました。
しかし、イマイチこの違いが分かっていない様子。
ちょっとまだ分からないかな~と思い、家に帰りました。
1週間程して、またその道を通ったのです。
そして、また同じようにしてみました。
すると長男の反応は、分かってるのか分かっていないのか?という感じでした。
そしてそれからまた一週間が経ちました。
この時、私は凄く信仰がダウンしていたのです。
何もかもが上手くいかず、心は悲しみで溢れ…
神さまは私と私の家族を、忘れているんじゃないか…と感じていたのです。
私は余りにも小さい人間だから…
忘れられても仕方ない…と感じ、
凄く悲しさが一杯になってしまっていたのです。
ですから、この日は特に長男に話しをかける事もなく、
自転車に乗せていた時、
目の前に、高架が見えました。
一瞬「反響を教える?いや、まだ分からないだろう。まだ無理だろう。
先週、ここで反響を教えた事を覚えているはずがない…」と
思い、私は何も言わずに高架下を通りました。
すると、長男が高架下に入った瞬間、
大きな大きな声で「あー!あー!あー!」と叫びました。
私は「え?(笑)」と思い、高架下を過ぎ去ったのですが、
高架下を過ぎ去っても
長男は止めることなく「あー!あー!あああああ!!!」と
増々大きな声で叫ぶのです。
私は自転車を停め、涙が出ました。
長男に「もういいよ。もう分かったから…」と言っても
「あー‼あー‼ああああああー!!!」と叫び続けるのです。
私は長男を抱きしめて
「もう大丈夫。もう分かりました。主よ、ありがとうございます」と言いました。
主は覚えているのです。
そして私が主を忘れ、主を必要としていない瞬間も
主は覚えているのです。
そして、それは私の事を忘れず記憶してくれているというレベルではなく、
凄く沢山、深く心に刻んで下さっているのです。
凄く小さかった長男が、驚く程大きな声で、叫び続けたのです。
私が「分かった…」と言っても
叫ぶ事を辞めなかったのです。
こんなにも大事な体験… 私は忘れかけていました…💦
もう一度、この出来事を、私の心に刻もう。
主は、私たちを忘れられるお方ではない。
単なる記憶してるというレベルではなく、
思いっきり力いっぱい注視して下さっているのです。
今日も、今も…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~