神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。詩篇139:23-24
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
マタイ6:12
先日、仕事で病院に行った時、
珍しく1時間ほど静かな時間を過ごせました。
看護師さんたちが「今日はどうしたんだろう… こんな日があるなんて!」と
手を休め話をしました。
働いている病棟は若い看護師さんが多く、話は大抵、恋愛や結婚の話が多いのです。
私より、私の子どもと年齢が近い看護師さんたちの話は、
凄く愛らしく感じる事が多いです。
この時、30歳になったばかりの未婚のAさん。
ここ数年彼氏も居なく、彼氏が欲しいという話を以前していました。
このAさんが「私って可愛くないじゃないですか~」と話し始めました。
私「え…何言ってるんですか? 十分すぎるぐらい可愛いですよ!!」
Aさん「ありがとうございます。でもね。BさんやCさんのように、誰からも好かれるような顔立ちじゃないじゃないですか~ 自分でも分かってるんです!」
「私は兄と私の二人兄弟で、凄く可愛がられて育ったんです。だから自分は凄く可愛いと思ってたんですけど(笑)」
「でもね。小学生の時に男子からブスだと何度もからかわれて… やっと自分がブスだと気付いたんです(笑)」
「気付いた時から、性格がちょっと変わった。それまではクラスの中心的な存在だったのに、ブスだと気付いて、人に見られたくないと思い始めたんです。」
「中学高校になって、もっとその思いが強くなり、こんなんじゃ彼氏なんて一生できないと思っていたんです」
私「…でも以前、彼氏いたんでしょ?」
Aさん「いましたけど… でもこんなブスなのに、彼氏が好きだと言ってくれても、可愛いと言ってくれても、
‟そんな訳ない(笑)” と思ってしまって、信じられなかったんです。」
「20歳の時、私はこれからもずっと、可愛いなんて言葉、信じられないんだろうな。と思っていたのですが、
25歳になっても、今30歳になっても、変わらず信じられないし、そんな事を言う男性は信用できない… だって嘘を言ってるんだから」
というのです。
こんな話を聞きながら、
私たちは、現在を生きながら、過去は「過ぎ去ったもの」というより、
過去を背負って、現在を生きている。
またその現在を背負いながら、未来も生きて行くのです。
過去に起きた、
恥ずかしい思い、苦い思い、傷ついてた思い、悔しい思い、残念な思い、憎い思い…
色々な思いを経験し、感じた思いを背負って、現在を生きているのです。
誰もがそうだと思います。
しかし自分の目に幸せそうに見える人は、
異性から好かれた体験。成功体験など「良いもの」を背負って生きている様に感じ、
自分が背負っているものとの違いに、
人と比べ「私なんてダメだよ」と信じ込んでしまうのです。
私たちは、
過去の良くない記憶を持ちながら、
また未来への不安を感じながら、時には未来へ怖さを感じながら、
現在を生きているのです。
私たちは、何を背負って生きているのでしょうか。
過去も未来も背負い、フラフラになっていないでしょうか。
また、多くの人は、自分が傷つけられた過去の経験に、
苦しさを感じながら、現在に影響を受けてしまっている事に、心を痛めるかもしれません。
もしくは、どうして自分がこんなに自己価値が低くなってしまっているのか、
何が原因なのかさえ、分からない過去を持つ人もいます。
しかし、忘れてはならない事として、
自分も、他人の過去になっている可能性もあるのです。
可能性がある…と言うより、
多分、かなり高い可能性で、誰かの過去になっていると思います。
自分には意図的な思いがなくとも、自覚がなくとも…
言葉や態度、表情、または誤解から人を傷つけているかもしれません。
何故なら、私たちは罪を持つ者なのです…
そう思うと、‟主の祈り” って凄いですね
「我らに罪をおかす者を 我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」
私たちは、自分の心の傷について、痛み苦しみ、主に癒しを祈ります。
しかし、自分が人に与えた傷について、真剣に祈った事があるでしょうか。
私は、遥かに自分が受けた傷についての祈りに集中し、
自分が与えたかもしれない傷については、案ずる思いが欠けていると気付きました。
今日は、偏った祈りをしている自分に気付けたことを感謝し、
悔い改め、主に祈っていこうと思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」