失敗の始まり…【申命記7:2】

2024年

あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。

申命記7:2

モーセがイスラエルの民をエジプトから連れ出し、

リーダーがモーセからヨシュアに変わりました。

主はヨシュアに、「わたしはいつもあなたと共にいる」という約束と

カナン征服を命じられました。

また「カナンの部族と契約を交わしてはいけない。彼らを憐れんではならない」と言われました。

…ヨシュアは主を信頼し、主に従順し、イスラエルの勝利し続け、多くの部族に恐れられるようになりました。

…しかし、ヨシュアは大きな失敗をしてしまいます。

カナンの地に住む、ギブオン部族もイスラエル部族を恐れ、ヨシュアに嘘の平和協定をもちかけました。

ヨシュアは、ギブオン部族の話を聞き、彼らを憐れみ、協定を結んだのです。

ここから学ぶ事は、

上手く行っている時は「要注意」!!

ダビデも戦いに勝ち続け、民がダビデを尊敬している最中に、罪に陥ったのです。

願い通り、上手く進みつけると、自分が満足するだけでなく、

周りからも一目置かれ、自分が高められてしまいます。

その様な言葉が自分の耳に入って来ると、錯覚を起こしてしまうのです。

勝利する事が当たり前となり、自分は出来る、能力がある…とどこかで思い込んでしまうのです。

そこには主を崇める心もなく、慕う思いもない状態…

また、主がダメだとされている事。罪など。

あからさまに「これは罪だ!」と思える事柄。

主を悲しませる選択。

誘惑だと思う事柄など…

そのようなものを自分の身の近くに置いてはいけないのです。

人間は誘惑に負けてしまうものです。

その様な私たちが、誘惑を手の届く範囲に置き「主よ。私を誘惑から守って下さい」と祈るのは…

少しおかしい…

まず、罪だと、誘惑だと感じた時点で、そこから離れる。

このヨシュアの話も同じです。

主が「カナンの部族と契約を交わしてはいけない。彼らを憐れんではならない」と言われていたのであれば、

カナンの部族の話を聞くべきではなかったのです。

とりあえず…聞いてみて、そこから考えよう!と思う時点で、主が望まれている選択と反対の道へと歩み始めているのです。

また、成功が続くと、「主に聞く」という事を忘れてしまいます。

自分で判断できると、どこかで思ってしまっているのです。

「これは普段から、こなしてきている事だから…」

「これよりもっと難しい局面を乗り越えて来たから…」と。

成功体験は、私たちの人生で大切でもありますが、

自分を強めてしまい、主を遠ざけることにもなりえるのです。

祈る必要性を感じなくなってしまうのです。

主に祈らないという行動は、自分には答えがあり、自分が正しいのです。

自分に自信がなければ、それを知っている人に聞くという行動をとります。

そう考えると、

ヨシュアの失敗は、「主との約束を守らなかった」という以前に

「主に、尋ねなかった」という点だと思います。

主に祈らない…という選択は、

伺う必要がない。

自分で判断できる。

今までも同じ選択をしてきた。

このような思いから、主尋ねないという選択が始まるのです。

上手く行っている時…

一層、気を付けつけるべき…

今日も主を選ぶ一日となりますように!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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