「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―
イザヤ55:8
1年を振り返ってどの様だったでしょうか。
主を感じる1年だった!と思える年もあれば、
なんだかな~ 主が共にいて下さるとは感じない1年だった…と思う1年もあります。
何か感謝な事があると、主が共に居て下さり導いて下さると感じる。
でも何かが上手くいかなくなると、主の不在感を感じる…
クリスチャンの誰もが感じた事があると思います。
主は本当に私たちと共に居て下さるのでしょうか。
私も主の不在感を感じる時があります…
そんな時、ヨセフの話を読み直します。
ヨセフの人生は、「どうしてこんな事が起こるんだろう?」
「主は本当に居られるのか?」「何故??」と聞きたくなることが何度も起きます。
ヨセフはどうして兄たちに奴隷として売られる人生を歩んだんだろう。
末っ子として特別に可愛がられていたヨセフが、
幼い年で1人外国へ連れて行かれ、先の見えないこれからの人生。
どんなに不安だっただろう。
兄に身ぐるみを剥がされ、穴に落とされ、兄たちは自分を見ながら殺そうと相談していたのです。
そしてミデヤン人に銀20枚で売られ、エジプトに着いてからパロの廷臣、侍従長ポティファルにヨセフは売られたのです。
そしてポティファルの妻に誘惑され、陥れられ投獄されるのです。
エジプト王ファラオの食事係の長と料理係の長の夢を解き明かし、牢獄から解放されるかと思いきや、2年以上忘れられたのです…
創世記39章には、4回も「主がヨセフとともにおられた」と記録されています。
ヨセフは奴隷として売られた日から、奴隷として13年過ごしました。
人間的な目で見ると、この13年間は、良くない方、良くない方に傾いて行っています。
そして主の時が満ち、
ヨセフは宰相に任命され、
それから豊作が7年。飢餓が始まって2年の時…
兄たちに再会するのです。
ヨセフが奴隷に売られる前に見た夢、親や兄弟がヨセフに礼をする夢が成就するのです。
実に22年もの道のりを歩んだのです。
しかし、そのような理不尽な環境に置かれても、
ヨセフが主に不満を口にしている記録がありません。
この22年間、主がヨセフに何かを約束したとか、幻を見せたとか、語られた…という記録はありません。
自分の人生が良くない方向に傾き続ければ、
主は本当に私と共にいるのか?という疑問が生じても可笑しくないと思いますが、
ヨセフは奴隷ですから、
出世が出来る訳でもなく、
身分が変わる訳でもなく、
環境を変えれる可能性がないにも関わらず、
与えらえた仕事を懸命に取り組んだのです。
どのような環境に置かれてもそこで最善を尽くしたのです。
そして、
主を恐れて生きることを選び続けました。
主の前で正しく生きる事を選び続けたのです。
主が導いて下さると信じ続けたのです。
私たちの目には良くないと見える道も、
主が準備された道かもしれません。
万一、悪の仕業だとしても、主が共に歩んで下さるという事です。
どちらにしろ、主が共に居て下さる道なのです。
主の計画は、私たちの思いと異なり、
主が準備された道は、私たちが考える道と異なるのです…
私たちは、主を信じ、与えられた道を懸命に歩む事。
明日から始まる1年も、主を信じ歩みましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」