私の祈りに答えを下さらない理由➀【ヨハネ6:28-29】

2023年

すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」
イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」

ヨハネ6:28-29

前にもチラッとブログで書いた事があったのですが、

子どもが通っている学校に問題が沢山あります。

学校が良い方向に向いていない…と保護者は感じています。

私はPTA活動に参加しているので、4月からこの件に関して話し合いが多く、

LINEなどの通知も毎日のように沢山入ってきます。

学校の良くない部分が日に日に見えてきて、ため息が…

保護者同士話していても「どうしたらいいんだろう…」という事が口癖のように出てきます。

改めて、リーダーに対して祈っていくって大切だと感じています。

学校のリーダー(校長や理事長)や先生方に対して、祈っていく。

自分の国の為に、国のリーダーの為に祈って支えていくという事が大切です。

リーダーの決断、思考に、沢山の人が影響を受けるからです。

PTAの中にクリスチャンは私一人。

家で祈っていても

「主よ。どうすればいいでしょうか」

「主よ。この様な状態です。どうすればいいですか?」と祈っているのです。

そしてふと気付きました。

私は「どうすればいいのか」とばかり祈っているのです。

人と会えば「どうすれば良いのだろう」と話し合っているのです。

私の心には、「方法が分かれば、解決できる」という思いがあるのです。

だから、解決方法を教えて下さい。

そうすれば、私はその解決方法に従って、私が解決します。という思いがあるのです。

主が方法を伝授してくれれば、私が動きます!という考えが私の中にあるのです。

聖書を見ても、金持ちの青年も「どうすれば天の御国に入れますか?」と聞きました。(マルコ10:17)

律法の専門家も「何をしたら永遠の命を受け取れるか」と聞いています。(ルカ10:25)

主の教えに従う…という一見、謙遜かのように見せかけた、「自分で何とかする」という思い。

主の方法で私が動くから… だから方法だけ教えて!という祈りなのです。

結局は自分で解決をしたいのです。自分の力で…

全てを主に委ねると言いながら、

実際に手を下す事に関しては、自分で出来る。自分がしたい。のです。

…どの様に祈れば良いのだろう。

今日の御言葉を見ると、

5つのパンと2匹の魚を食べた群衆が、次の日にイエスさまを探して言った言葉です。

「神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」

主は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」

群衆に向かって、〇〇をしなさい。とは言われず「主を信じなさい」と言われたのです。

信じるだけです。

この信じるだけが、簡単なようで難しいのです。

信じるとは、委ねるという事です。主に自分を明け渡すという事です。

「主よ。私はあなたが働いて下さる事を信じます。主の方法で、主の計画に沿った主の働きを見れる事を感謝します」

働かれるのは主だから。

今日からは、このように祈ってみようと思います。

「どうしたら…」と祈り続け、明確な答えを得る事が出来なかったら、

「主は私に答えを下さらなかった…」と感じ、不信仰へと揺れぐのです。

よくよく考えたら、祈りながらも自分で何とかしようとしている私に、答えを下さらないのは当然かもしれません。

自分の的外れな祈りに気付けて良かった…

今日も私の王座に座って頂けるよう、主に自分を明け渡していきたいです。

皆さまの上にも、主の祝福と平安が満ちますように…!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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