悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
マタイ5:4
クリスチャンの詩人「島崎光正さん」の詩を偶然目にしました。
詩を読んで、どういったお方なんだろうと少し調べてみました。
1919年、福岡で生まれ、2000年81歳で天に召されています。
お医者さんのお父さんは、患者さんの病に感染し、島崎光正さんが生まれて1カ月の時、急逝しました。
父方の祖父母に預けられ、それ以降、お母さんと会えない状況に。
島崎光正さんは、母親の胎内にいた時から、「二分脊椎(にぶんせきつい)」という、脊椎に重い障害を持って生まれたのです。
ですから下半身が不自由でした。
足首が内側にそり返し、変形していたそうです。
普通の靴は履けず「ゴム長靴」を履き、松葉杖をついて通学しました。
自分の姿がカッコ悪く感じ、情けなく感じ辛い日々を送っていたそうです。
小学校の時に、クリスチャンの校長先生に出会い、28歳で洗礼にあずかりました。
島崎光正さんは、クリスチャンの詩人として生きられた方です。
「わが上には」という詩です。
『わが上には』
神様
あなたは私から父を奪われました。母を奪われました。
姉弟もお与えになりません。
その上、足の自由を奪われました。
松葉杖をお貸しになり、私はようやく路を歩きます。
電柱と電柱のあいだが遠く、なかなか早く進めません。
物を落としても楽に拾えません。
乳のにおいを知りません。
母の手を知りません。
私は何時も雪のつもった野原の中に立っていました。
鳥の羽も赤い林檎の実も落ちていませんでした。
私は北をたずねました。
けれども、知らない人は答えました。それは南であろうと。
私は南に行きました。
また別の人が答えました。それは、北であろうと。
生れてから三十年経ちました。
私は今、机の上にかさねたノートを開いてみるのです。
此処には悲しみの詩が綴ってあります。
神様
これがあなたのたまものです。
恐らくこほろぎの鳴く夜ふけ
母ある者は、布団の裾をたゝかれ安らかに眠りについたでしょう。
妻ある者も抱き合いながら眠っていったでしょう。
母はふたゝび起きて見るでしょう。
けれども、私は眠らずに覚めて書きました。
こんなにぎっしり
落花のように手帳を埋めました。
足ある者は、遠く旅立つひまに
私は更に埋めました。
おお 幾歳月……
私の詩は琴のように鳴りました。
森のように薫りました、いたみは樹液の匂いを放ちました。
神様、これがあなたのたまものです。
…この詩を読んでビックリしました。
島崎光正さんの人生は、悲しみに悲しみが重なった感じです。
両親との別れ、ご自分は生まれながらの障害。
絶えず人の目線の対象となる自分の姿。
自分自身の意志や力ではどうする事も出来なく、足を引きずり、どうして自分はこのような運命の下に生まれたのかと、子ども心に辛く思っていたようです。
しかし、神の子となり、悲しい思いを綴った沢山の手帳を見て、
自分の悲しみを主の前に注ぎだす事が出来ていたと気付き、
自分のこの悲しさは「主からのたまもの」として受け入れる事が出来たのです…
悲しみ、痛み、苦しみが… たまもの…
島崎光正さんは、
悲しみが重なる日々は、琴のように美しく新しい音色が響いていたと気付いたのです。
自分の人生は、森のような深い癒しを感じる薫りを放っていた事。
自分の感じる苦しみや悲しみ、痛みは「樹液の匂い」
樹液の匂いとは、森いっぱいに「甘いような酸っぱいような、いい匂いが漂う」という意味だと思います。
私たちは、自然豊かな森の中に入った時に、何とも言えない癒しを感じ、深呼吸をし、良い空気を沢山自分の中に取り入れようとします。
主が与えられる素晴らしい癒しの中心に、自分はずっと存在していたんだと気付いたのではないでしょうか。
そして自分の人生を感謝されているのです。
友達が履く普通の靴を履くことが出来ず、長靴に対して凄く嫌な思いを持っていたようです。
しかし、自分の障害の象徴ともいえるこの長靴は、
「悲しい思いだけを歩む長靴」ではなかったのです。
主の時が満ち、「癒しと慰めへの道を歩む長靴」となったのです。
私は、自分の人生をどれ程… 感謝して生きていけているんだろう。
自分の願い通りいかないと直ぐに不服を感じる私の心。
人と比べ、自分にはないものが多いと悲しむ私。
…主は不足なく私を創造して下さった。
環境も。健康も。能力も。
それをもう一度、考え、感謝する一日を過ごしたいと思います。
今日も、主と共に歩む、豊かな一日となりますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」