命はどこにあるのか【Ⅰコリント13:13】

2023年

こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

Ⅰコリント13:13

先日、実家に行きました。

実家にはもう誰も住んでいないので、時々家に行って窓を開け、風を通したり掃除をしたり。

そして父親の本棚を整理していると「日野原重明さん」の本が何冊かありました。

私の亡き父親が尊敬する人の内の1人です。

クリスチャンのお医者さんで、生涯現役のお医者さんでした。

父親が日野原重明さんの話を時々してくれたり、テレビに出演されている録画を一緒に見たりしていました。

「あ… 懐かしい…」と思いながら、思い出した話があります。

日野原重明さんが、命の尊さを子どもに伝える為に小学校に訪問した時、この様な質問を子どもたちにされるそうです。

「君たち、命を持っているだろう。命はどこにあるの?」

子どもたちは、胸のあたりを指して「ここにあります」と答えます。

日野原さんは「これは心臓だよ。心臓はモーターなんだ。命を支えるのには必要だけれども、ここに命があるわけじゃない。じゃ、命そのものはどこにあると思う?」と問い返すそうです。

日野原さん、いわく

「命は目に見えないもの」であり、

「命とは君が持っていて、君が使うことのできる時間のこと」

「君がしたいように出来るもの、それが君が持っている命だよ」と教えるそうです。

そうすると、子どもなりに理解を示すそうです。

そして「じゃ、自分らしく命を使うとはどういう事なんだろう」という宿題を出すそうです。

子どもたちは、自分の為だけに時間を使っていた事に気付き、反省し、誰かの為に何かをしないと…と考え始めるそうです。

命がどこにあるのか… 難しい質問ですよね。

確かに、命そのものが身体のどこかにある訳ではなく…

目に見えたり姿形がある訳ではない。

命が尽きると自分の人生が終わるので、

命とは「人生」という言葉に置き換えれるようにも思います。

ということは、やはり命とは「私に与えらえた時間」ではないか…

と改めて考える時間となりました。

日野原さんが子どもに出された宿題「自分らしく命を使うとはどういう事?」という問い。

与えられた命を、私はどの様に使っているんだろう…

自分の人生を何に使って来たのか。これから何に使うのか…

大抵の時間は、自分の為、自分の家族の為…

自分にとって良い選択をし、目の前の出来事や色んな事を天秤にかけ、自分にとって益となるような選択をしてきました。

自分の命には決められた時間があります。

私たちは、どのように生きて行くべきなのでしょうか。

私たちにとって大切なもの

信仰と希望と愛です。

そして、その中で一番すぐれているのは愛だという御言葉があります。

聖書のいう「愛」とは、何だろう…

私たちの神は、愛なのです。

私たちの神… 十字架の愛。

聖書のいう「愛」とは「ゆるし」なのかも…

「愛」=「ゆるし」なのかどうかは分かりませんが。

キリストの愛は、「ゆるし」を伴う「愛」です。

「愛」は「ゆるし」と、切っても切れない関係だと思います。

主が私を赦して下さったように、私も人を愛し、ゆるしていく生き方が、豊かな生き方なのかも。

日野原さんの宿題「自分らしく命を使うとはどういう事?」

私らしく、キリスト者らしく、神の子らしく、命を使う。

私は自分の人生(命)を、人を愛し、ゆるしていく生き方をしたいな…と思いました。

主にあって、豊かな命の使い方をすることができますように!!

タイトルとURLをコピーしました