小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
ルカ16:10
久しぶりの姉妹から連絡がありました。
以前、同じ教会に居た韓国の姉妹Aさんです。
「久しぶり~!」と懐かしむ間もなく、
「あの時さ…私に何と言ってくれたっけ?」と聞くのです。
Aさんは日本に住んでいる時、ピアノを教えていました。
ピアノを習いに来ていた30代の女性に時々、聖書の話をしていたのです。
そしてある時、その女性から質問をされたそうです。
「聖書的に今私がしている仕事は正しいのか」と問われ返答に困って、
私に、こんな質問をされ返答に困ったけれど、何と答えるべきだったと思う?と聞かれた事がありました。
私はこの時のことがとても印象深く心に残っていました。
始めは、Aさんが私の近くに来て「この前ね~」と話し始め、私が自分なりの考えを話している内に、10名位の人が近くに寄って来て、
「じゃ、僕のこの仕事はどう?」「そっかー」「なるほど…」など会話に加わっていました。
その時、私は余り考えたことがなかったけれど、
クリスチャンは、自分の仕事について、このままこれを続けることが良いのかどうか。悩んでいる人が多いのかも…と感じた事があったからです。
Aさんに質問した30代の彼女は、普通の会社で事務員でした。
彼女は、自分の仕事は毎日同じことの繰り返し、やりがいを感じず、誰にでも出来る仕事だと思っていたのです。
Aさんの聖書や教会の話を聞きながら、キリスト教に肯定的な思いを持っていたようで、自分がその時悩んでいる仕事について、聖書的な考えが欲しかったようです。
そしてAさんは私に「どのような仕事を主は喜ばれると思う?」と私に話しかけてきました。
私「ん? 主が喜ばれる仕事?」
A「牧師とか宣教師…?」
私「献身者? 主に人生を献身するって喜ばれると思う。」
A「やっぱり献身者が喜ばれる仕事なのかな」
という会話がありました。
Aさんと話していく中、「人生を捧げた献身者だけ」が主に喜ばれる仕事だと思っていた様です。
私の考えですが、
献身者は、Aさんがいうように自分の人生を主に捧げたい、主の御用の為に使われたいと願いその道を歩むのだから、主に喜ばれていると思います。
だからと言って、それ以外の職業が主に喜ばれない仕事ではないと思います。
学校で教える先生がいなければ、人間に ‟学び” がなくなる。学ぶ事は平和にも繋がっています。
スーパーのレジの仕事をする人がいなければ、私たちは日常の食料を買い求める事ができなくなる。
野菜1つをとっても、それを育てる人がいて、それを購入する業者がいて、それをスーパーに運搬するドライバーの人がいて、それをスーパーに陳列する人がいる。
野菜1つをみても、これら全ての人が私たちが食べ物を買う為に必要な職業。
ゴミを収集してくれる人が居ないと町は大変な事になるし、新聞を配達してくれる人も必要。
世の中の職業で不必要な職業の方が少ないと思います。
もちろん、凄く一生懸命働いたとしても、人を騙したり、コピー商品を製造したり、無くていい仕事、主に喜ばれない仕事もあります。
世の中に役にたつ仕事をすることは、主に喜ばれてると思います。
問題は、その役にたつ仕事をどのようなマインドを持って仕事をするか…の方が大きい問題だと思う…
ダビデは「羊飼い」でした。誰でも出来る仕事です。
しかしダビデにとってこの羊飼いと言う仕事は、ゴリアテに勝利をする準備期間だったのです。
この羊飼いという孤独な仕事をする中で楽器の演奏を身に付け、
のちに、ダビデはサウルの目に留まったのです。
ダビデは羊飼いという仕事をしながら、一日中人と話す事がなかったと思います。
人間的な考えでは、つまらない仕事だと思います。
ダビデは一人で過ごしたのではなく、主と共に過ごしたのです。
多くの人は自分の仕事に意味を見いだせず、飽き飽きしてるかもしれません…
大切なのは、与えられている仕事に対してどのように向き合うか。
毎日、誰でも出来る同じ事の繰り返しだと感じる仕事…
そんな苦痛な思いから解放される必要があります。
不満だけを持って取り組んでいるのであれば、それは主に喜ばれない姿かもしれません。
仕事に意義をもって取り組めるか…
与えらえた仕事内容が何か、と言うのも大切だけど、
何をするかよりも、誰とするか。
今、自分は誰と生きているのか。
誰と共に歩んでいるのか。を日々心に留め仕事に取り組める姿が、喜ばれる姿だと思います。
主は、わずかな物に忠実な者に沢山任せて下さる方です。
主は、「どの様な素晴らしい成果をもたらしたか」よりも、心を見られる方です。
「小さな事に忠実でありなさい。そこにあなたの強さが宿るのですから」(マザーテレサ)
今日も、主と共に歩み、主と共に時間を過ごして下さい!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」