沈黙される主【マタイ15:21-23】

2023年
Christ and the Canaanite Woman - c.1784 Germain-Jean Drouais

それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。

すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊にとりつかれているのです。」

しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。

マタイ15:21-23

今日の聖書の箇所は、

カナンの女性の子どもが悪霊に取りつかれていて、イエスさまに助けを求める場面です。

この話の続きに

イエスさまは「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くない」と言われ

女性は「主よ。その通りです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」と

主がこの女性に「あなたの信仰は立派だ」と驚く話へと繋がる部分です。

この女性、自分の子どもが悪霊に取りつかれ、どうする事も出来なかったんだと思います。

しつこい位、何度も「憐れんで下さい」と叫び声を上げたのです。

しかし、イエスさまは女性に一言もお答えにならなかったのです。

今まで、病人や癒しを求めて来た人に対して、今回のような素通りをされなかったように思います。

盲目のバルテマイの時も「ダビデの子、イエスさま、憐れんで下さい」と何度か叫ぶと、

イエスさまは立ち止まり「あの人を呼んで来なさい」と言われ癒されました。

しかし、この女性に対しては素通りされたのです。

叫んでも叫んでも立ち止まる事をされませんでした。

このスト―リーの続きを読むと、

まだ福音が異邦人にまで広がっていない。という事が分かります。

このカナンの女性は異邦人です。

…聖書から分かる事は、主はこの女性に対して「沈黙」されたという事だけです。

どうして沈黙されたのかは分かりません。

分かる事は、沈黙されても、諦めずにこの女性は訴え続け…

そしてイエスさまが感心される程の信仰告白が出来たという事です。

私は…

主が彼女の信仰を伸ばされたのではないかと思います。

沈黙が続いても、不可能に感じても、主を信じ願い続ける。

そして、不平不満を口にするのではなく、主を納得させる信仰告白が彼女の口から出たのです。

主は、彼女の信仰を成長させる為、

良い信仰告白を口にし、その後の生活もその信仰を持ち続ける為に、

沈黙の時間を持たれたのではないかと思います。

そして…

私が今回この個所で気になったのは、弟子たちの態度です。

女性がしつこく叫び続ける姿を見て、

「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言っています。

‟追い払ってください” という意味ではないです。

‟早く癒しを与えて帰らせましょう。黙らせましょう” という意味です。

ドキッとしました。

私たちには分からなくても、主は一つ一つに意味や計画を持っておられます。

沈黙もそうなのです。

主の深い計画があり、沈黙の時を持たれたのです。

それに気付かず、

弟子たちがイエスさまに助言しているのです。

「さっさと直して次、生きましょう!」

それが知恵があるかのように…

得策かのように…

主に「こうした方が良いですよ」と言っているのです。

自分にもこのような面があるかも…💦

自分が良いと思った事。

自分が良いと感じた事。

これが正しいと判断した事。

こうなって欲しいという強い願い。

これらを、私が主に指示を出しているかもしれません…

自分に理解できなくても、主がされる事には意味がある…と信じるのが信仰。

…当時のイエスさまの宣教の中心は、ガリラヤ地方でした。

来る日も来る日も人が集まって来るのです。

イエスさまは時々、寂しい所に身を避け、祈ったりする時間を持たれていました。

この時も、人から身を避けられたのです。

宣教の為にツロに行かれたのではないのです。

ツロは異邦人の地だからです。

しかし、ガリラヤからツロまで40-50キロ。

ちょっと休息…という距離ではないと思います。

わざわざ、ツロまで行かれた理由があると思います。

私は、ツロでこのカナンの女性に会う為に、

主はわざわざ向かわれたのではないか…と思います。

今日も、主を信頼し共に歩みましょう!!

主の平安がありますように…

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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