すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
へブル12:11
私には実家で自営業をしている兄がいます。
兄は時々、出張で1週間ほど家を留守にする時があります。
その様な時は、決まって連絡があり「一日に一度実家に行き、兄の仕事のチェック」「家の周りの植木鉢に水やり」「畑に水やり」を頼まれます。
家の近くに畑が一区画だけあります。そこで近所の人たちと数畝(うね)ずつ分けて野菜などを育てています。
私が子どもの時から、祖母、母親が趣味のように畑を楽しんでいました。それを今、兄が引き継いで野菜を育てているのです。
しかし私は、子どもの時から凄く虫が苦手💦
家周りの植木は大丈夫なのですが、虫が多い畑は苦手なのです。いつも兄から連絡があると「あーー畑か💦」と思います。
今回も連絡があり、畑に行く事になりました。そして兄が「あのさー、畑にオクラ植えといて!」と言うのです・・
「え・・無理!虫いてる!!」と言うと「お前は、子どもの時からやれば出来る子だったから、大丈夫!」とゴリ押しされるのです。
私はいつも完全防備の姿で畑に入るのですが、いつも「ごめんね~あなたたちも主が創造された生き物なのに・・好きになれなくて💦」と思いつつ、ビビりながら畑に入ります。
そしてオクラの苗を見つけました。畑に植えようとしたのですが・・・土が硬い!!
「え・・これってこのまま植えたらダメなやつ?」と思っていると、
丁度、畑に近所のおじさんが居て、「あーその畝は使ってなかったから、耕してからじゃないとダメだわ」と言われ・・
おじさんにレクチャーを受けながら鍬(くわ)で畑を耕したのです。
そしてオクラの苗も植え、水やりを完了し退散・・
家に帰って落ち着いてから「そう言えば、子どもの時、母親が土を耕す時は空気を入れるように耕す」と言ってたな・・と思い出しました。
そして一応ネットで調べてみました。
「根が硬い土を貫通するのに困難を感じる」「十分な酸素や水分を吸収できない場合、根の成長が制限される」「根が自由に成長できず、健康な根系を形成することが困難」「硬い土は水の浸透や排水が困難になり、水が土中に滞留すると、根が酸素不足になり、根腐れや病気のリスクが高まる」など
健康的な根を張れない → 根腐れや病気などのリスク → 実を結べない
なるほど・・と思いつつ。
マルコ4章にも「種蒔きの話」が書いてあります。やはり植物も良い地でないとダメなのです。
「人の心」も「畑の土」と同じだな~と改めて思いました。
固くなってしまった土のような心には、御言葉が浸透しにくいように思いました。
根も張りにくいだろうし、仮に根を張っても十分に根を張る事が出来ず、雨風のような困難に見舞われた時、直ぐに倒れてしまうだろうと想像できます。
自分の心はふかふかとした良い土なんだろうか。
主が種を蒔いて下さったら、思う存分根を張り、大きく育てる事が出来る状態だろうか。
主が私の心に種を蒔かれたら、その目的は成長させ花を咲かせ実を結ぶという事。
私の心の畑は沢山の実を結べる状態だろうか。
一部分だけ良い土で、硬くなってしまっている部分があるかもしれません。
固くなっている部分を見つけたら、耕す必要があります。
沢山の種を植えてもらうために・・
心の硬くなった部分、蓋をしてしまっている部分。触れたくない部分も・・耕す事を望まれていると思います。
今回、固くなった畑を耕してみて、「耕す」とは少し大変な労働だと思いました。
鍬も重いですし、土も固い・・サクサク出来る作業ではなかったです。
心の土は尚更だと思います。
心の畑を耕す事は簡単ではなく、痛みを感じるかもしれません。
時間がかかるかもしれません。
苦しく感じるかもしれません。
しかし、畑の土は耕さないと使えないのと同じで、心の畑はもっと健康な状態であるかのチェックが必要です。
畑の土は、使わないでそのままにするとコンクリートかと思うほどに固くなります。
心も土も同じかもしれません。
主から離れ、御言葉と言う栄養を吸収せずに過ごすと・・・頑なな心となるように思います。
畑の固くなった土は、作物を育てる事ができない・・土の役割としては死んだ状態なのです。
心の畑も、一部分だけでなく全体的によく耕されている健康な状態が望ましいのです。
ある部分は耕されていて、ある部分は固いまま・・これでは、根を張るのに影響を与えてしまいます。
固い部分は耕された良い部分に与える影響のです。
今、主を信じ心に変化が起こり、喜びに満たされているかもしれません。
でも本当は、まだまだ心の土の一部分だけが耕されて、その部分だけで喜んでいるのかもしれません。
私たちはもっともっと、心の土が良い土となり、もっともっと主の喜びは今感じる喜びより、遥かに大きく深いものかもしれません。
自分の心・・・硬くなってしまっている部分があるかどうか、思い出したくもない過去に蓋をしてしまっている部分はないだろうか。
触られたくない、思い出したくない記憶をもっていないだろうか。
私は、主が私に与えようとしている喜びの何%ぐらい、今、喜びに満たされているんだろう・・・
主に喜ばれる姿で草木を育てる事が出来ているんだろうか。
心の土を耕すという事は、自分の嫌な過去と向きあうという事です。
蓋をしてしまった過去・・これらを主の前で癒しを求める必要があるのです。
心の傷と向き合うということは、大変なことで痛みが伴うかもしれません。
しかし、主は必ず回復させてくださいます。
主にとって、小さなかすり傷も大きな傷も同じなのです。
また、御言葉や賛美、祈りを通して、日々心の土を耕し、栄養を受ける必要があります。
主が私の心に植えて下さる食物を・・私の中で大きく成長しますように・・
今、このブログを書きながら思い出した事があります。
昔、母親と一緒に祈っている時に、よくこのような話をしていました。
「主は一人一人に与えて下さる恵みやビジョンが違う・・主は私にどの様な物をどれぐらい与えて下さるんだろう・・
主が与えようとしても私が受け入れないと、結局は私に与えられた事にはならないし、もっと与えたかったのに、私が受け取らないとそれは違う人に与えられるかもしれない・・」と話していました。
だから、母と共にこの様に祈っていました。
「主よ。主が私に与えようとされている恵みやビジョン、計画など・・私に与えようとしている全てを私が受け取る事ができますように。
主が、私に見せようとしている出来事の最大を私が見る事ができますように。
主が私にされようとする奇跡を、全て体験する事ができますように。
私は、主が私に許される最大限を受け取りたいです!!」
・・・もう一度、この様に祈ります。
主が私を用いたいと思われている最大限、用いられることが出来ますように・・
今日も、御言葉と賛美、祈りにより心に栄養を貯め、また耕される一日をお過ごし下さい!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」