神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
出エジプト3:5
信仰生活どうですか?
主の恵みを感じながら過ごせているでしょうか。
何となく、周りの人は恵まれ主の愛を感じているのに、自分はよく分からない。
どちらかと言えば、信仰を持った時は恵まれてたように思うけど、今は余りピンと来ず人生が変わった感じもせず、主が共に居られるともイマイチわからない・・・
何となく自分だけ置き去りにされている様に感じたりしませんか?
旧約聖書に出てくる偉大な人物モーセ。
エジプトからイスラエルの民を救うという、主の大きなプロジェクトに用いられた人物です。
しかし、モーセも自分が神に置き去りにされているように感じた時期がありました。
モーセの人生・・・常に用いられた訳ではありません。
モーセの人生は大きく3つの時期に分ける事が出来ます。
➀幼少期~40歳
エジプトのファラオ王の命令で、モーセも赤ちゃんの時に殺される運命でした。しかし主の不思議な守りを通して、モーセは生き延びました。
ファラオ王女の養子となり、しかも幼児期のモーセは実母に育てられたのです。
そしてエリート教育まで受け、王家で何一つ不自由なく過ごしたのです。
モーセは自分がどの様に生き延びたのか知っていました。主に選ばれた者だと思ったでしょう。血気盛んでありながら、同胞を思う心、神を思う心を持っていました。
ある日、同胞のイスラエル人がエジプト人に鞭打たれるのを見過ごす事が出来ず、エジプト人を殺し、それが発覚するのを恐れミデヤンに逃げたのです。
②40歳~80歳
ミデヤン(荒野)に逃げ、40年過ごしました。
この40年間は、「神の訓練時期」です。
同胞を思う心、愛国心が大きな罪を引き起こしてしまったのです。
モーセはこの荒野での生活、何を考え生きたのでしょうか。
何不自由なく、地位も名誉も経済力もあった者が、ある日突然、逃げる身となり荒野でひっそりと過ごす事を強いられたのです。
全て持っていると思っていたのに、何もかも無くした40年。
「神の訓練期間」、食べる物も着る物も、寝る事さえも不自由なのです。
荒野で出会った女性と結婚をし、羊飼いとして人生を過ごしました。
自分の人生は、このまま終わってしまうのだろうか・・・
希望もなく苦しみの中で人生を終えるのを待つのだろうか・・と何度も何度も考えたはずです。
人生が虚しく儚い・・と40年感じ続けたのではないでしょうか。
モーセは「神の沈黙の時間」を過ごしたのです。
③80歳~120歳
ある日、モーセはホレブ山で燃える柴を目にし、神の声を聞くのです。
神さまはモーセに、エジプトで苦しむイスラエル人たちを救い出し、カナンに連れ出せと命じました。
モーセは主が与えて下さった兄アロンと共に、エジプトに向かい、イスラエルの民を救うという主の大きなプロジェクトを担ったのです。
神さまの偉大な奇跡を何度も体験しても、すぐにその恵みを忘れてしまう民たち。
60万人の成人男性と、女性と子ども、家畜までいたのです。
人間が持つリーダーシップだけで、この数、40年の月日、導く事は出来ません。
モーセがこれを成せたのは、神さまからの沈黙の訓練時間を耐えたからです。
この沈黙の時間は、モーセの罪に対する罰として与えられた時間ではないのです。
取り返しのつかない大きな罪を犯してしまったモーセを、主が見捨てた時間ではないのです。
次の大きな段階に上がる為の訓練の時間だったのです。
この沈黙の時間なしに、モーセは用いられる事はなかったのです。
燃える柴を見たモーセに主が語られた言葉・・それが今日の御言葉です。
「まず靴を脱ぎなさい。」
モーセが履いていた靴・・
王子として高慢だった靴、
罪にまみれた靴、
逃げ隠れ生き延びた靴、
荒野での絶望と孤独の靴、
自分の人生を嘆いた靴・・・
このような汚れた靴を履いたままで、主に用いられる事が出来ないのです。
自分が履いている汚れた靴を脱ぎ捨てなさい・・
自分の靴がどれ程、この世の汚れが付いているか見つめ直し
今までの人生を悔い改めなさい。
これからは主が与える靴を履き、新しい歩みをしなさい。
私たちも同じです。
自分が履いてきた靴を脱ぎ捨てる必要(悔い改める)があるのです。
今のままでは用いられないのです。
高慢の靴、不従順の靴、偽善の靴、欲の靴、ねたみの靴、怒りの靴、恨みの靴、不平不満の靴、間違った愛の靴、不信仰な靴、性の靴・・
このような罪の靴を脱ぎ捨てる必要があるのです。
今、私はどの様な靴を履いているのだろうか・・考えながら一日を過ごしたいです。
主を感じる事が出来ない、沈黙の時間は主からの訓練の時間かもしれません。
この訓練の時間、どの様な靴を履いて過ごすか。
沈黙の時間・・主を信じ切れていない自分が浮き彫りになってしまいます。
嘆き不平不満の靴、不信仰な靴・・
早く脱ぎ捨て、悔い改め、新しい出発をする一日となりますように!