私は主を悲しませているかもしれない【ヤコブ4:8】

2023年

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心ある人たち。心を清くしなさい。

ヤコブ4:8

先日、少しクスっと笑える出来事がありました。

我が家の長男は今、韓国で軍隊に行っています。今は1年半の軍務が国民の義務となっています。

今年のお正月に長男が休暇を貰って日本に帰って来ていました。(両親が海外にいる場合、航空券が支給される)

帰国中に高校の時の先輩に会いました。その先輩も長男と同じ時期に入隊したようで、、

「どこに配属されたのですか?」と聞いたら、「毎日、地雷を探すのが軍務」と・・・💦

長男の韓国の友達も、38度線に近い所に配属されて1年半、殆ど休暇もなく緊張感が漂う環境で過ごしているそうです。(この2人の話はクスっと笑える話ではないです)

2人とも・・ご両親・・毎日毎日、どれ程心配しているだろう・・💦と改めて思いました。

子どもたちが入隊する時、子どもたちも心が複雑で、嫌がる子どもが殆どです。

韓国の親はこの一年半、泣きながら子どもを想い過ごすそうです。

長男が「牧師になるには、韓国の教会と繋がる方が良いと思う。軍隊に行かないと韓国社会で認められないから・・1年半だし・・行こうと思う。」と言い、本人が行く事を決めました。

後で、「行っとけば良かった」と後悔しても、年を取ってからは行けないからです。

軍隊に対して無知であった私は・・韓国にいる友達に色々聞きました。聞けば聞く程、不安が押し寄せてくるのです。(銃を扱うので事故も事件も、いじめもある。訓練は過酷)

長男が通っていた学校に次男も通っています。韓国系の学校です。韓国の保護者も多いです。

そこで「長男が軍隊に行く💦」・・と話したら、多くの保護者が口を揃えて「韓国人男性は、行くべき!! 行けば男になる!! 今は昔と違って軍務期間も短いし、楽みたいだよ! 昔と全然違うって!」と言われました。

しかし反対に、「えーーーーー!!どうして?? 行かないという選択も出来たんじゃないの?? えーーでも・・あの長男なら・・頑張って耐えれそう・・心配だろうけど・・あの長男なら大丈夫だよ!」と私の気持ちを汲み取り、寄り添ってくれる保護者もいました。

私は入隊する日が近づくにしたがって、不安な気持ちで過ごしていたので、自分の気持ちに寄り添ってくれる保護者には長男の話をして、

「行くべき!!今は楽!!」と言われると、それ以上何も言えなくなり、一層自分の心が悲しくなるので、長男の話はしなくなりました(笑)

そして月日が経ち・・先日、学校の保護者の方に会うと「うちの子・・軍隊行くのよ・・💦」という話を聞きました。

私は「あ・・・今凄く不安で悲しいんだろうな・・」と思って話を聞いていたのですが、

今にも泣きそうに「行かせたくない・・辛すぎる・・どこに配属されるんだろう・・」と話すのです。

横にいた韓国の保護者が「うちの子は無理だわ・・気が弱すぎる・・行く方が良いけれど、うちの子は無理だわ・・行かせない方向で考えてる(帰国しないでずっと日本に住むという選択をしたら行かなくても済む)」

2人とも以前、私に対して「韓国男子は行くべき!今は楽!」と言っていたのに・・(笑)

この会話を終え、家に帰宅しながら「人間って、本当に人間的だな(笑)」と思っていました。

そして1つの話を思い出しました。

以前、ケニアに行っている宣教師先生からこんな話を聞いた事があります。

ある信徒さんが「先生の働きは素晴らしい・・福音を知らない人に伝えるのは主が喜ばれる事ですよ!」と。「祈ってます!」「良い働きです」と何度も言われたそうです。

そして、一年後、宣教報告に韓国にもう一度戻った宣教師先生に、1年前に祈ってると言っていた信徒さんが会いに来たそうです。

その信徒さんが「宣教師先生!! ちょっとうちの子、止めて下さい!!」と言われ、話を聞くと、

信徒さんの息子さんが宣教師になりたいと言っているとの事。

「宣教師先生のように立派な方なら・・うちの子はダメですよ。」と話したそうです。

そしてその息子さんに会って話を聞いたそうです。

母親が、「あなたじゃなくても良いじゃない! あなたが行く必要がある?」と言っているそうです。

・・・「あなたじゃなくても良いじゃない!」という思い・・

親はそう言いたくなるのが分かります。

私たちの心には、その様な心があるのです。

信徒さんに信仰がない訳ではなく、宣教に否定的な訳でもなく・・主を信じているけれど行動するまでの信仰に成長出来ていないのです。

「私の十字架を負いなさい」という言葉に、どこか「犠牲」を払わないといけない・・という考えが出てくるのです。

全てを捨て、主だけに付いて行くという弟子たちの姿を思い出し、「負担」と「ためらい」を感じるのです。

多分、誰もが持つ心だと思います。

主は私の救い主だと信じているけれど・・

主は素晴らしいお方だと知っているけれど・・

超えてはならない線があるかのように・・

超えずに自由に生きたいという思い・・

小さな子どもが親に対してその様な思いを持っていたらどうでしょうか。

私の親は凄く優しく、良い両親。でも全てを信じる事は出来ないと思っていたら・・線を引いていたら。

親は子どもに一番良いと思うものを与えます。

でも子どもがそれを信じず、親と距離を取っていたらどうでしょうか。

親は悲しです。もっと自分を信じて欲しいと思うはずです。

でもそうする事が出来ない人間の心があるのです。

主は、私たちの信仰告白を聞きながら、悲しい思いも感じているかもしれません。

もちろん、全ての人が牧師や宣教師などの献身者になることを、望んでいないと思います。

しかし、一人一人に背負って欲しい荷はあると思います。

一歩、一歩、主に近付けるように、信仰を成長させることが出来るようになりたいです。

主に与えられるだけのキリスト者ではなく、与えられた恵みを世の中に流すキリスト者に少しづつ変えられたいです。

今日も、沢山の選択をして生きます。

その1つ1つの選択を通して、私たちがもっと主を信頼できますように。

今日、一歩だけ主の近くに歩み寄れますように・・・

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