どうして奉仕は面倒なんだろう【創世記6:14】

2023年

あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。

創世記6:14

主に何かを示された事はありますか?

もしかしたら、実際に音声として主の声を聞かれたり、姿を見る方が居られるかもしれません。

私はそのような経験はなく、

聖書を読んで、今までは何も感じなかったのに凄く心に響いたり、その個所を読む前から、その個所が気になったり・・

もしくは祈っていて心が変えられたり、人と何気ない会話をしながら、自分がずっと祈っていた答えだな・・と思える言葉を聞いたり。

もしくは、自分の心や頭に思いもしない事柄が一気に湧き上がるように響く時があります。(内なる声)

主はどうして示しをされるのでしょうか。

私が祈っていて、それに対する答えであれば、質問をしたから主が答えて下さった・・というのは分かります。

しかし、時折、自分の思考には全くない事柄を示される事があります。

韓国に留学に行く時も、思いもせず「韓国に行きなさい」と内なる声を聞いたのです。

「え・・? 韓国? どうして韓国? 主よ。せっかく行くなら英語圏に行きたい・・」と祈り返しました。

主が「〇〇しなさい」と語られるのは、どうしてでしょうか。

私の助けが必要なのでしょうか。私を韓国に送り学ばせ、何かをするのに私が必要だからではないと思います。

主は誰かの助けがないと何も出来ない方ではないのです。

ノアはどうして箱舟を作ったか知っていますか?

今日の御言葉を見ると「あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい」と言われています。

主は、「ノア・・あなたの為に作りなさい」と言われたのです。

ノアは主の声に従順し、120年かけて箱舟を作ったのです。

主はノアを愛し生かすために、箱舟を造らせたのです。

主が示されるというのは、主のため・・ではなく、私のためなのです。

これは親心と少し似ています。

親は子どもを思い、あれこれ言います。勉強しなさい。早く寝なさい。早く起きなさい・・

しかし子どもはどうでしょうか。

多くの子どもは「自分のため」・・というより親がうるさく言うから、仕方なしに勉強をする。という子どもは多くいます。

「テストで良い点とったでしょ? だから〇〇買って!」となるのです。

親の為に、親の言う事を聞いたから、その見返りだと子どもは思い、そのように言うのです。

子どもは何となく「自分のため」と分かっていながらも、どこかで「親のため」と感じてしまっているのです。

私たちも同じような錯覚のような思いを、主に対して持ってしまっています。

毎週礼拝に行く事。献金する事。奉仕する事。教会の学びに参加する事・・

どこかで、自分のためというより、周りの目を気にして。牧師の手前・・教会での和を乱さないため・・仕方なしに・・

主がノアに箱舟を作るように言われたのは、

主がノアを愛しているから。

ノアに祝福を与えるため。

自分のためだと分かっていたら、その語りかけは感謝であり、一生懸命に作るはずです。

もしこれが人の為に120年かけ、人々にバカにされながら箱舟を作っていたとしたら、この作業はストレスを感じ不服を感じると思います。

私たちの信仰生活。聖書を読む事。祈る事。礼拝を守ること。賛美する事。献金する事。奉仕する事。

主の語りかけに従う事・・・

喜びに満たされているでしょうか。

自分のため・・ではなく仕方なしに、、という錯覚が生じているのかもしれません。

今日も、自分の為に聖書を読み、祈る時間を持てますように!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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