御心を選ぶという事【イザヤ55:8-9】

2022年

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イザヤ55:8-9

1年前に、長男の韓国で知り合った友達が「神学校へ行きたい」と言いました。

長男の話によく出てくる友達です。長男が「お母さんも祈ってあげて」と言いました。

「もちろん祈る! でも本当に、、本当に、本人がしっかりした示しと確信が必要だから、本人が沢山祈らないとね・・」と言い、覚えて祈っていました。

彼は神学大学に合格しました。そして、先日長男に「あの友達、神学校どう?」と聞いたら「休学してる」との返事が・・

それを聞いて思い出した事があります。

私が韓国の神学校へ行く時、周りの人に「神学校へ行ったら、信仰をなくす人が多いから気を付けて」という言葉をよく聞きました。

どうしてか聞いたら「神学と信仰は違うから」と言われました。「神学校へ行ったら、皆が牧師を目指し献身を決意した者同士。熱い語り合いや祈りを出来ると思ってたのに・・」という話もよく聞きました。

想像していた分かち合いや交わりとは程遠く、「あんな、、あんな人が本当に献身者?」とショックを受けるようです。

韓国で、牧師になる為の王道な道は、大学の神学部へ進学し、大学院まで卒業しないといけないのです。そして大学院を卒業する時に、難しい試験を受けるか、牧会を3年、宣教師になる、を選択し牧師となります。(教団によって違いあり)

実際に入学した学校は同期の学生が100名(内女子が15名)で、途中で数名が休学や退学をしました。

特に男子は牧師を目指し大学に入学します。そして大学院に進学するのは20-30名でした。

入学した皆が、牧師を目指し祈って入学したはずです。

私は28歳の時、3年に編入し神学部の寮で寮生活をしました。韓国は、大学では先輩後輩がしっかりしています。同じ神学部の寮で、21歳の4年生の先輩に初めて会った時に「どうして、ウサギがトラの家に遊びに来た?」と私に聞きました。

ウサギは弱者です。トラに食べられる存在です。そのような立場が弱い人がどうして韓国の神学校に来たのか?と聞いたのです。(韓国には歴史的に反日感情があります。一人で韓国に来た日本人の私はウサギの様だという意味です)

もちろん、先輩は私に皮肉でこの様に言ったのですが、「そっか~私はウサギだったのか・・(笑)」と面白く感じました。

直ぐに頭に浮かんだのは、

「あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出す。蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい。(マタイ10:16)」

以前もチラッとブログで書きましたが、韓国の留学生活は本当に辛かったです。泣かない日はなかったかも・・・

私が日本人だと分かると、どこに行っても反日感情を持った方に何か言われます。

バスに乗ってもタクシーに乗っても、郵便局も百貨店に行っても、スーパーでも、大学の神学部でも、寮でももちろんです。警察に行っても、教会の中でさえも同じです。

私に解決できない問題(日帝時代や竹島問題)を突き付けるのです。

初めましての初対面の人に「ワシは日本も日本人も大嫌いじゃ!」と一言目に何度言われたか(笑)

SNSがない時代、頼るのは主だけだったのです。

毎日、泣きながら祈りました。「もう耐えれません・・日本に帰りたいです。」「韓国ではなく、日本の神学校に行きたいです。日本に帰らして欲しい・・」「あなたは、私を傷つけ、追い込む為にここに呼ばれたのですか」

神学校の時の教科書を今見ると、あちらこちらのページに「日本に帰りたい・・・」と書いています(笑)

今振り返ってみて思う事は、

神さまが「私に必要」と判断することが、私にとっては、居心地の良いものではなく、辛い時期を過ごすかもしれない。という事です。

主の導きだと思い従ったとしても、全てが上手く行く訳ではない。

それは頭では分かっています。

しかし、何となく、思い切って御心の道を選択したら祝福され、道が開けると思っています。

だって、自分の欲を捨て主に従う道を選択したから・・・

だから、進む道に困難や問題、私を攻撃し傷つける人に出会ったら「御心ではなかったのか?」「こんなハズではなかった」と主に対して疑心暗鬼になってしまう・・

御心を知り、その道を選択するという事は、全てが上手くいくとは限らず、反対にいばらの道の方が多いのかも。

また御心の道は、攻撃も多いのかもしれません。

神学校に行く・・と言ったら全力で止めに来る人が日本にも韓国にも数人いました。また私に「悪い霊につかれてる」と言われる方も(笑)

聖書を見れば、御心に従って主を伝える者になり、迫害を受ける人生を送る人が殆どのように思います。

日常の選択でも同じです。御心を求め、自分の思いや欲を捨て、主の御心を思い切って選択して突き進んでも、困難が待ち構えているのは当たり前なのかもしれません。

頭では分かっているけれど、実際になると戸惑い、原点にもどるのです。「あれは御心ではなかったのではないか?」

御心だから、困難も生じたり、嫌な思いもするし、攻撃もあるのです。

私たちは「主が私に一番良いものを与えてくれる」と思っています。

目先の判断しか出来ない私たちとは違い、もっと未来を見据え事が出来る主が、私に一番良いものを与えてくれる・・・と。

でも「私にとって一番良いもの」= 私が幸せを感じるもの・・・ではないかもしれません。

一番良いものが、辛いものかもしれません。孤独の道だと感じるかもしれません。

問題に見舞われ、戸惑い不安になっても、納得がいかなくても、主を信じ突き進むことことも大切です。

全ては益として下さる主を信じて。

主の御心の道は登山のようです。

絶景を見ようと、辛く苦しい道を重い荷物を背負いながら、何時間も山道を登る登山のようです。

絶景を見る度には、常に登り坂です。しかも、穏やかな登り坂だけでなく、不可能に思えるほどの急な登り坂が続く事もあるのです。辛い上に一層辛い道が続くのです。

登山中は、終わりがないような道が続くのです。

登山は、登るのに苦労すればするほど、素晴らしい絶景が見れるのです。

しかし、道中は「頂上の景色は素晴らしいよ」と言われても分からないのです。

信じ最後まで歩き続け、頂点に達した者だけが、絶景を味わう事が出来るのです。

時間が経ってみないと、絶景が本当に美しいと気付かないのです。

登山のように、人生で大変辛い時間を過ごすのにも理由があるのです。

しかしその渦中にいる時は、心の痛みに心が奪われ、それ以外は何も分からないのです。

時間が経過してから気付くのです。時間が経過してから主の計画を悟るのです。

今までの辛い道中、全ての道に意味があったと悟るのです。

このような苦難は、目先のものにしか想像できない私たちとは違う、永遠の視点を持っておられる主が与える良いものであるという事を・・・時間が過ぎ去ってから悟るのです。

今は理解できなく、苦しいだけかもしれません。

しかし時が満ちた時、全てが明らかになり「これが私に下さる一番」だと気付くのです。

御心を選ぶとは、必ずしも今の自分が思っている、幸せとは違うかもしれません。

しかし、最後まで従い続ける事により、御心を選んだことが自分にとって「一番良い道だった」と思うと思います。

今日も、主の声に聞き従う一日となりますように!!

PS. 登山も慣れです! 慣れれば道中の草花の美しさに気付く余裕もでてくるものです。

辛い道のりも簡単には心が折れなくなります。辛い道中でも苦しさだけでなく楽しめるようになるのです。

その様なクリスチャンになりたいです!

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