この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。
また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。
ルカ23:47-48
友達が「良くないと分かってても、辞めれない時はどうしたら良いと思う?」と聞きました。
これは・・人間にとって大きな問題で、クリスチャンの皆が葛藤する問題です。
後から後悔したことはありますよね・・
特に考えなく行っていたことが、大きな間違いだと気付いた時。
これを選んだらダメだよな・・でも・・と自分の欲に従ってしまい、後で後悔・・
怒り過ぎたらダメ・・と思いつつ、怒りを抑えられず爆発させてしまった事。
良くないと思いつつ、皆がしているから「いいか!」と思い人々と同じように選んだ事。
何となく説明が面倒くさくてついてしまう小さな嘘。
良くないと思いながらも自分を正当化して選んでしまった事。
聖書の中にも沢山います。
ペテロは鶏が3度鳴いたのを聞いて我に返りました。
ユダもイエスさまをお金で売ってから後悔しました。
ノアの箱舟を見て笑っていた人たちも、大雨が降る続くのを見て後悔したはずです。
アダムとエバも後悔したでしょう・・
イエスさまを拷問し十字架に架けた兵士たち、百人隊長も後悔しました。
百人隊長は、ユダヤ人の犯罪者を十字架で処刑する事が仕事で、毎日毎日、罪人を拷問し苦しめ、叫ぶ姿を見ているました。自分の人生の長い時間、人が苦しみ、人が死んでいく姿を見て過ごしたのです。
イエスさまが十字架に架かった日も、百人隊長にとってはいつもと同じ日常だったのです。
いつものように、罪人を鞭打ちをして十字架に架けてました。
しかしイエスさまの死に様を目にし、「この方はまことに神の子であった」と悟ったのです。
イエスさまの死に様の光景を見に集まっていた群衆もみな、イエスさまが亡くなってから、胸をたたいて悲しんだのです。
「良くない事」だと感じたら、直ぐに手放すのが一番です。
自分の頭の中にある天秤にかけてはいけないです。
「良くない」と感じるものには、魅力があります。私たちはその魅力に勝てないのです。
自分の中にある天秤は、「自分の欲」の方に傾くように出来ています💦
罪や誘惑を、自分の身の横に置き、「主よ。どうか私が罪を犯す事がありませんように。誘惑に負けませんように。」
この様な祈りは、「賢くない祈り」だと思います。
人間は、罪や誘惑に負けるものなのです。罪や誘惑は魅力的で、私に幸せを与えるかのような顔をして、いつも私たちの近くに存在しようとします。
「良くないもの」・・と感じたら、その場から身を遠ざけるのです。罪や誘惑から離れるのです。
罪や誘惑を、自分の目に入る傍に置けば、私たちは負けるのです。
まず離れ、「主よ、私を罪からお守りください」と祈るのです。
12弟子のユダ・・・
もともと弟子たちの中で会計を担当していたのです。ということは、ユダは皆に信頼されていた人物なのです。
しかし「彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。(ヨハネ12:6b)」と記録があります。
日頃から小さな欲に負けていたのです・・
小さな欲に負け、小さな罪を重ねていたのです。
小さな欲は、小さな喜びをユダに与えていたのです。
ユダは小さな喜びを楽しんでいたのです。
しかし・・その小さな罪は、取り返しのつかない罪への道だったのです。
多分、弟子になりたての頃、会計を任された時、銀貨30枚とイエスさまを自分の頭の天秤にかけたら、天秤はイエスさまの方に傾いたかもしれません。
しかし、日ごとの小さな罪、小さな喜び、小さな快感が、天秤を狂わせたのです。
「良くない」と示されたら・・・
一刻も早く手放す!!!
もしかしたら、あと一歩でユダのような大きな間違った選択をしてしまうかもしれません💦
今日は、主の語りかけに敏感になれるように。霊的な目が開かれるように祈ります。
今日も、主の中で満たされた一日をお過ごしください!