待って下さる主【イザヤ30:18】

2023年

主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。

イザヤ30:18

毎年、1月になると、17日になると、思い出す人がいます。

1995年に起きた「阪神淡路大震災」

私は、その半年程前に洗礼を受けました。洗礼を受け、主を知り喜びに満ちていた時期です。

当時は、設計事務所で働いており、設計士さんとチームになって仕事をしていました。(私は建築CADオペでした)残業が普通の設計事務所では、同じチームで仕事をしている人とは一日のうち、一番長い時間を過ごします。

同じチームの設計士のAさんに、仕事の合間合間に教会の話、聖書の話をしていました。

そして、1月17日、突然早朝に地震が起こりました。私が住んでいる所も大きく揺れを感じました。

朝になってニュースを見ると、電車は止まり、また時間が経てば経つほど、大惨事になっていくのを感じました💦 時間が経つにつれ、情報が入ってきます。火事などの二次被害が出てきます。神戸の方に大きな被害が・・

ニュースを見ながら凄く心が痛みました。「神さま、、今苦しんでいる人が大勢います。どうか助けて下さい!!」ずっと祈りながらニュースを見ていました。

この時、神戸に住んでいたAさんを思い出しました。Aさんは大丈夫だろうか・・・

数日、出勤は出来ず、自宅待機となりました。そして久しぶりに出社をし、会社の人は互いに顔を見ながら安堵を感じました。

「そして誰々は出社していないな・・。」「まだあちらの方は電車が動いていないらしく、安否は確認しています」と言うような会話が聞こえてきます。

そして、私が一番伝道していたAさんは、出社しておらず、誰も連絡を受けていなかったのです。

会社の中に緊張感が走りました。「本当に誰も連絡受けてない?」と。

そして、数日連絡がないままの時間を過ごしました。

私はドキドキし落ち着かない日々を過ごしました。「あ・・もっとAさんに対して救いの祈りを懸命にするべきだった」「もっと伝道すれば良かった・・」「もし、亡くなっていたらどうしよう・・」

そして、不安で祈りに涙がこぼれ、泣きながら私は沢山たくさん祈りました。

祈りの中で、私は最後にAさんに何を伝えたんだろう?と示されました。

地震が起こったのは火曜日です。最後に会ったのは、その前の土曜日でした。残業中に「明日は日曜日。一緒に教会に行かない?」と初めて教会に誘ったのを思い出しました。

そしてAさんは、しばらく沈黙し「・・もうちょっと待って。もうちょっとだけ待って欲しい」と言いました。

私は「もちろん! 神さまも待ってくれるよ!」と答えたのを思い出しました。

「あ・・Aさん無事な気がする・・私はあの時、神さまも待ってくれるよ!と答えた。主は待ってくれるはず。主はまだAさんの命を取られないはず・・」という思いが起きました。

地震後に出社して1週間経ち、私のデスクの電話がなりました。電話の相手はAさんでした・・

「・・・ずっと祈ってただろ(笑) まだ会社には行けないけれど、話さないといけない事が山ほどある! 神さまおるな!」と言われ電話を切りました。

「Aさんから連絡入りました! Aさんも家族も無事です!」と皆に報告すると、会社の中に安堵感が漂いました。

その電話から2週間ほどしてAさんが出社・・・

そして私は「話さなければならない話」を聞きました。

就寝時に地震が起き、飛び起きた。自分の家は崩壊はしなかったものの、家の中はぐちゃぐちゃになったが無事であったこと。

そして実家に1時間歩いて向かった。実家は一番被害が多かった、長田区・・・

家の前に着くと、家は全壊しかけており火事になっていたそうです。そして倒壊している家の前に、お姉さんのご主人、義兄が呆然と立っていたそうです。そしてAさんに気付き、

「中に、嫁が!お義母さんが・・・!!」と言ったそうです。

全壊しかけており火が出てる家の中に、Aさんのお母さんとお姉さんが取り残されていたのです。

Aさんは無我夢中でその家に入れる所を探しました。そして見つけたのです。「頭が入れば身体も入るはず!」と思い、頭を入れた瞬間「自分も死ぬかも。ここに入ったら出てこれないかも」と頭に過ぎったそうです。

それと同時に「今、自分は祈られてる・・・」と感じたらしく、全壊している家の中に入って行ったそうです。

お母さんは幸いにも怪我がなく救出しやすい場所に居てたそうで、パニックになっていたそうです。

急いで母を担いで脱出。お母さんは無事でした。

そしてもう一度中に入り、お姉さんの名前を何度も叫びました。

そして見つけたのです。お姉さんは倒れており、太ももの上に大きな木がのしかかっていました。お姉さんを抱きかかえ、引き抜こうとしてもビクともしません。

お姉さんもパニックになり「足はいらないから助けて!!」と叫び続けていたそうです。

しかし、その大きく重い木を一人で除ける事は出来ず、無理にお姉さんを引き抜いたら、大けがになります。神戸自体が大惨事なのに、救急車を呼ぶことは不可能なのは本能的に分かったそうです。

「自分の力で姉を助ける事は出来ない・・」と思うと同時に、

「姉を置いて自分だけ助かる事もできない」

「でも自分も今、姉と共に死ぬわけにはいかない」・・・

色々な思いが一瞬にして出て来たそうです。

外からは、義兄が「崩れる!! もう崩れる!! 早く出てこい!!」と叫んでいたそうです。

どうも出来ないAさんは、初めて心の中で、大声で「神さま!!!」と叫んだそうです。

すると、今まで姉を引っ張ってもビクともしなかったのに、スッと抜けたそうです。

「えっ?!」と思い、お姉さんを連れ外に脱出できたそうです。

お姉さんを抱えるように家から脱出すると同時に、大きな音を立てて完全に家が全壊したそうです。

お母さんもお姉さんも、Aさんも大きな怪我をしなかったそうです。

こんな話を聞きながら、私は愕然とし震えてきました。

そしてAさんは「な!神さま本当におるやろう?」と言ったのです。

私は、もちろん、凄く祈っていたし、不安だったけど、祈りの中で最後にAさんに話した時の事を思い出していたと話し、

「あの時、Aさんは真剣に、ちょっと待って欲しいと答えたから・・神さまは本当に待って下さったんだと思う」と伝えました。

それから1-2ヶ月、Aさんは生活の基盤を立て直すために会社には来られませんでした。

翌年、私はYouth With A Mission(YWAM)というキリスト教の宣教団体の弟子訓練コースに導かれ、会社を退社。またその翌年に、韓国に留学しています。

Aさんは既婚男性。もう主が十分にAさんに働かれてると感じ、私の役目はもう終わりだと思い連絡を切りました・・

あれからもう、28年。Aさんとは連絡が途絶えて26年になります。

毎年1月になると、Aさんを思い出します。

Aさんとその家族たちの救いの祈りを続けています。

「必ず、Aさんとその家族が主に出会い、神の子とされますように。Aさんがあの時感じた、神さまの臨在を、生涯忘れることがありませんように・・・。また私がAさんを通して感じた、力強い主の助けを忘れることがありませんように。また、この時学んだ、とりなしの祈りの大切さを私が忘れる事がありませんように。」と。

今日も、主の助けの中を歩めますように。

主の恵み深い一日をお過ごしください!!

 

PS. この地震で沢山の方が亡くなられています。またこの地震で、人それぞれ沢山の記憶と辛い思いがあります。この地震に対する内容のブログを書くかどうか迷いました。私が経験した主を、記録し残したくて書きました。

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