今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
創世記45:5
私の知り合いに、いつも自分に対して凄く否定的な人がいます。
彼女に良い事があっても、素直に喜ばず、喜びも否定的です💦
他の人がどの様な会話をしても、彼女は結局は自分の苦労話に繋げます。
こうなると・・ 残念ながら周りから人が去ってしまいます。嫌われるのとは違い、何となく楽しくないので避けるようになってしまうのです。
しかし、彼女はどうして人が去るのか分からず、自分の周りには自分を思ってくれる人がいない・・と一層、自分の中に否定的な思いを一つ増やしてしまう事になり、、、悪循環です。
自分の人生を思い浮かべて見て・・自分の人生は一言で言うと、どの様な人生だと言えますか?
辛い事が本当に多い人生
我慢ばかりの人生
孤独な人生を歩んだ
裏切られた人生だった
人に傷付けられてばかりの人生
病で苦しめられた人生
恵みもあったけれど辛い事も多い人生・・・
それとも・・・幸せな人生?
先を読む前に、自分の人生を一言で要約してみてください。(上から選ぶのではなく、ご自分の言葉で)
私は聖書に登場する人物で、ヨセフが一番好きです。何度読んでも涙が出ます。
ヨセフの人生はどの様な人生だったでしょうか。
ヨセフは、実の兄たちに売られ奴隷としてエジプトに連れて行かれました。
子どものヨセフが、ある日突然、親元から離され知らない土地へ、奴隷として連れて行かれるのです。
そして無実の罪で牢獄まで入りました。
ヨセフの人生は、兄たちの悪ある介入により22年もの間、苦労する人生を歩む羽目になったのです。
私を含め多くの人は、自分がヨセフなら、恨みを持って生きて行くと思います。
ヨセフは、兄たちと再会した時に、
「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。
あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」と言いました。
ヨセフは再会した時に、エジプトで地位があり成功者だったから、寛容な心になれ許したのでしょうか?
ヨセフは、自分の人生を「奴隷として売られた人生」、ではなく、「神が私をエジプトに遣わした人生」だと理解していたのです。
自分の人生は、神さまの計画の大切な一部だと分かっていたのです。
もちろん、ヨセフは自分がどのようにしてエジプトの地に居るのか、自分の過去を記憶しています。不安で寂しく恐怖を感じた感情も記憶しているでしょう。
ヨセフは、現実的に兄に裏切られ奴隷として売り飛ばされたのです。この過去は変える事はできません。
そして、主人の妻に誘惑され、陥れられ牢獄に入れられたのです。この過去も変える事にはできません。
ヨセフの過去も、私たちの傷ついた過去も同じく、なかった事には出来ないのです。
過去に起きてしまった事実をなくす事も、変える事も出来ないのです。
変えれる事が出来るのは、自分がその過去をどう解釈するか・・・だけです。
ヨセフは自分の人生を、私達とは違う視点で見ていたのです。
ヨセフは自分の人生を、主の視点で見ていたのです。
同じ人生でも、もしくは自分よりもっと悲惨な人生であったとしても、視点を自分に置くか、主に置くかで、人生が変わるのです。
私は自分の人生が「神さまが遣わした人生」だと、告白できるクリスチャンになりたいです。
今日も、主の計画の中を歩む一日となりますように。