喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
互いに一つ心となり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
ローマ12:15-18
昔の写真を整理していたら、実家で飼っていた犬たちの写真が出てきました。
犬が3匹いのたですが、うち1匹だけ凄く鳴く犬でした。
両親が自営業だったので、普段から人の出入りが多く、人が来るたびに、キャンキャン鳴きます。
バイクが通っても、誰かがピンポンを鳴らしても、宅配の人が来られても。
残りの2匹は殆ど鳴く事がなく、1匹だけが鳴きます。家族が帰って来ても間違えて鳴いたりしました。玄関に家族の姿を見ると、少し申し訳なさそうに、身を低姿勢にして尻尾を振り近づいて来ていました。
この足音は誰の物か?と考える前に、反射的に鳴いていたのです。
「弱い犬ほど良く吠える」という言葉があります。スッゴク怖がりだという事です。
自分より大きいもの。大きな音がするもの。始めてみる人・・自分に害を起かす存在ではないだろうかと、怖がるのです。そして不安になるのです。その現れとして鳴くのです。
人間も同じですよね。
すぐ怒る人っていませんか? 何かにつけて、不満を口にする人。攻撃的な発言をする人。
色んな事が不安で怖いのかもしれません。
自分は嫌われていないか、受け入れられていないか、認められていないのではないか、大切にされあいされていないのではないか、、、
そのような不安に押し潰されそうになり、自分が潰されないように防御しているのです。
自分が拒否される前に、相手を説き伏せようとしたり、持論を主張するのです。
自分の優位に立たせる事によって、自分の身の安全を守っているのです。
しかし、傍から見たらどうでしょうか?
近寄りたくないですよね。あまり関わりたくない。イチイチ面倒なのです。
そのような周りの反応が、一層、その人を孤独にさせるのです。
そんなことを、思い巡らしていたら、1人の男の子を思い出しました。
私が小学生の時、同じクラスの男の子です。
この男の子は凄く怒るのです。何かにつけて。
一番後ろの席に座っていて、先生が前からプリントを後ろに配り、自分の分が一枚足らないと怒ります。
両手をグーにして机を何度も叩くのです。そして、机に顔を近づけて、大きな声で文句を言うのです。凄い勢いで・・・いつもそうでした。
怒るほどの事でもないのに、何かにつけて怒りが頂点に達したような行動でした。
クラスメートも先生も、その男の子がそのような反応を起こす事が当たり前になり、誰も気に留めなくなっていました。
この事で、この男の子がイジメられたり、何か嫌な事を言うクラスメートは居なかったのですが、その男の子には親しい友達は居ませんでした。
小学校を卒業し、中学は互いに違う学校へ。それ以来、会うことはありませんでした。
そして月日が20年程たち、私が実家に行った時、母親のお客さんが来られていました。
母親が通っている教会に導かれた人だそうで、最近洗礼を受けたとのこと。
色々な話を私も交じってしていたら・・・あの小学校の時の男の子のお母さんでした!
私が記憶している名字と違ったので、なかなか分かりませんでした。「記憶いている名字と・・」というと、
そのお母さんが「あの子は、小学校の時どうだった?」と聞かれました。返答に少し困っていると、「暴れる事が多かった?」と聞かれ、「暴れる事はなかったです。誰かをケガさせたり、手を出す事もありませんでしたよ。誰かが彼をイジメることも、彼に文句を言うと人もいませんでした。・・ただよく怒っていた記憶があります。」と伝えました。
話を聞くと、彼のお母さんが話してくれました。
丁度、その男の子と私が同じクラスの時、男の子のお父さんが自殺をされたそうです。
それを聞いた瞬間、その男の子の色々な姿が思い出されました。
それを「あ・・また怒ってる」という風に少し離れて見ていた周りの友達。一瞬、怒った声に驚いて、クラスの皆が、男の子を見るけれど、直ぐに何もなかったかのように、他の友達と話している姿。
顔を真っ赤にして机を叩き続けていた姿。激しく文句を言う姿。一日に何度もそのような姿を見せていました。
小学生の小さな心に、収まらない程の思いがのしかかっていたのです。
私がその時、クリスチャンだったら、彼の為に祈れたのにな・・・ あの時、誰が彼の為に、お母さんの為に、弟くんも居てたはず・・誰がこの家族の為に、とりなしの祈りを捧げれたんだろう。
そう思うと、悲しくなりました。
同時に、あんなに驚くような行動を毎日何度も起こしていても、誰も彼に嫌な事を言わなかった。誰も彼をイジメなかったし、特に親しい友達は居なかったけど、グループで何かをする時は、問題なく彼もグループに入れていた。
もしかしたら、誰も彼に対してとりなしの祈りをする者が、居なかったかもしれないけれど、主は彼を守って下さっていたんだなあ・・・と思いました。
「そうだったんですか・・・私があの時クリスチャンだったら、彼の為に祈れたのに。何も知らずに過ごしていた事が、申し訳なく思います。今から、彼と弟くんが救われるように祈ります・・」と伝えました。
何年間か、ずっと記憶し祈っていたのですが、いつの間にか忘れてしまっていました。
今日、また彼を思い出す事が出来たので・・・ 今日からまた祈ろうと思います。
今、自分の周りにとりなしの祈りを必要としている人が、沢山いるかもしれない!
人の怒りの下には、必ず傷ついた心や、恐れや不安があるかもしれません・・・
人に会う時は、祈りの心を持って会う必要があるな。。と改めて思いました。
今日、出会う人たちに、主の愛を分けることが出来ますように。
今日も、主の中で良き一日をお過ごしください!