私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。
Ⅰテモテ1:12
ふと思った事があります・・・
以前、何か本を読んでいて「えーこの本良いな~~」と思って、著者が気になりました。
その本の奥付を見てみました。「へー〇〇出身で、〇〇を卒業されたのか~」と思い、
どの様な勉強をされたんだろうと、ネットで検索・・・
一通り、経歴を読んで「納得」して、また本を読み始めました。
こんな他愛もない経験、ありますよね?
良いと思った本は、やっぱり著者も素晴らしい方が多いように思います。
「そっかーこういう方面の勉強も必要だよね~」と思ったり。
それでふと思ったのですが。
もし、著者がどうしようもない位、犯罪数が多くて、、、今までに何人殺人したか数えれない。。。と言うような人物が著者だったらどう思いますか?(暴露本ではなく・・)
すっごく慰め、癒しが与えられ、生き方の指針が書かれてある本の著者が・・・です。
がっかりしませんか? 「え? スッゴク感動したのに・・・なんか騙された気分」
「しかも、こんな生き方の指針書のような・・こういう人がこんな本を書いていいの? 」
って思うと思います。
はい。パウロの話です。パウロは沢山の書簡を残しています。
新約聖書27巻の内、13巻です。(ローマ、ⅠⅡコリント、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、ⅠⅡテサロニケ、ⅠⅡテモテ、テトス、ピレモン)
パウロが書いた書簡の著者の説明には、何と書かれているでしょう?
(そんなものは存在しませんが、私なりに考えてみました。)
使徒パウロ
裕福な家庭で生まれ、ユダヤ教の学者のもと高い教養と強い信仰を持つ。
ユダヤ人であり、ローマ市民権を保持。へブル語とギリシャ語が堪能。
律法に従わないクリスチャンを迫害し根絶させる事に、強い、強い、強い使命を持つ。
イエスの弟子たちを捕らえるためダマスコへ向かう道中、突然天からの光がパウロの周りを照らし、目が見えなくなり、主の御声を聞く。
悔い改め、福音を伝える伝道者として人生を変えられる。
生涯で3度の伝道旅行。合計距離はなんと2万キロ(地球の約半周・・・)
パウロは「異邦人への伝道」を精力的に行い、パウロがいなかったらキリスト教は、ここまでの世界宗教にはなっていないと言われてる程、キリスト教の重要人物へと変えられる。
聖書には「良き信仰の持ち主」「誠実で直ぐな心の持ち主」「神を恐れる者」「評判の良い者」が出てきます。
主は、その様な人達を用いず、問題山済みのブラックリストに載ってそうなパウロを選ばれました。
どうしてでしょうか?
聖書は「聖なる書」です。聖なる書の著者として、如何なものでしょうか?
ここに、私たちと主との差があります。
主は、私たちのように、人間の過去を重視されないのです。
主は私たちの過去を見て判断せず、未来を見られる方なのです。
パウロの様な、極悪人はなかなか居ないと思います。
しかし、パウロでさえ、悔い改めを通して人生180°変えれる事が出来たのです。
パウロの様な、血も涙もないような罪人でさえ、許され新しく生まれ変われました。
パウロのような過去の持ち主であっても、主は用大きく用いて下さるという事です!
主は、パウロが持っていた強みを全て用いられました。
パウロが用いられたのは、自分の罪の大きさをしっかり実感し、認識し、心底悔い改めたからだと思います。
私たちも、自分の罪深さを認識し、主の前に悔い改める必要があります。
どこかで、そんなにも・・悪い事はして来なかった。とか人と比べて「マシな方」だと思っていませんか?(私の事です・・・)
これは大きな間違いです。
自分の目で見て「マシな方」であったとしても、主の目で見たら「マシな方」と思われない可能性が大です。
主の判断基準と、私たちの判断基準は大きくズレています。
私たちは大きく、歪んでしまっています。
自分の判断に頼らず、一つ一つを主に尋ねながら歩むクリスチャンとなりたいですね!
今日も、主の中で豊かな一日をお過ごしください!
神に愛されているという時間を一日の内に持ってみるのはどうか?
祈りがタスク