主は目の前の1歩しか教えてくれません【使徒の働き10:9-20】

2022年

9 その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。

10 すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事が用意されている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。

11 見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。

12 その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。

13 そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。

14 しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」

15 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」

16 こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。

17 ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。

18 そして、声をかけて、ペテロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっているだろうかと尋ねていた。

19 ペテロが幻について思いを巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。

20 さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」

使徒の働き10:9-20

この話を知っていますか?

イエスさまの死後、カイザリアという所に駐屯していたローマ兵の百人隊長コルネリオ。

コルネリオを通して、異邦人も救われると示されている箇所です。

コルネリオは敬虔な人物で、家族で神をおそれ、多くの人に施しをし、いつも祈る隊長でした。

そんなコルネリオに主は御使いを通して語られました。「ヨッパにいるペテロを呼びなさい」と言われたのです。コルネリオはペテロを呼ぶために使いを遣わしました。

ペテロは食事を待つ間に夢ごこちとなり、夢をみるのです。大きな敷布に沢山の動物たち。主がペテロに「ほふって食べなさい」と言われ「清くない物を食べた事はありません」と答えると「主が清めたものです」という夢でした。

その時に、コルネリオの使いが現われたのです。ペテロはコルネリオに会いに行きました。

この話はいつも不思議だな~と思います。

すっごくタイミングがバッチリです。ペテロが夢を見て、この夢の意味は何だろうと考えている時に、コルネリオの使いが現れるのです。

コルネリオもペテロも・・・良く信じれたな・・と思います。まずコルネリオに、主が「ヨッパのシモンの家に泊まっているペテロを呼びなさい」とだけ言われたのです。

それだけを聞いて、コルネリオは従ったのです。

ペテロも同じです。夢を思い巡らしている時に御霊に「3人の人が来るから、ためらわずについて来なさい」とだけ言われるのです。それだけを聞いて、ペテロは付いて行くのです。

2人とも、どうして呼ぶのかも分からず、どうして呼ばれたのかも分からない状態です。

ペテロは夢の意味を知るのです。自分が清くないと思っていたのは、異邦人の事であって、主は異邦人に対しても救いを開かれたことを知るのです。

ペテロは、コルネリオとコルネリオが集めた人たちの前で、イエスさまの十字架の死について話をします。福音を聞いたすべての人たちに聖霊が下るのです。

ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が下った事に驚くのです。

コルネリオが「ペテロって言う人を呼びなさい」という言葉に従わなかったら、このような出来事は起きなかったのです。

またペテロも、「3人の人が来るから付いて行きなさい」と言う言葉に従順しなかったら、この様な奇跡は起こらなかったのです。

主の示しって不思議ですよね! 主は深くを話さないのです。

「ペテロって言う人を呼びなさい。彼は〇〇な人で信頼できる人物です。彼からイエスキリストについて話を聞いたら〇〇な事が起こるから!」とは言われなかったのです。

ペテロにも「コルネリオっていうローマ人なんだけど凄く敬虔な人で、その人たちの前で福音を語りなさい。」とも話されなかったのです。

主は、目の前の1歩しか、教えてくれないのかもしれません。

私たちが、主に応答して1歩進めば、次なる1歩を教えてくれるのです。

大事な事は、信じて1歩歩き出すか・・・ですね!

主の語りかけに、応答しないと、1歩進まないと、奇跡は起きないのです。

待っていたら、ビックリするような奇跡が降ってくるわけではなさそうです・・・

でも、私たちは、その様に思っていないですか?

私たちが想像する「主の奇跡」ってある日突然、降り注いでくれると期待していませんか?

今日は、この使徒の働き10章を読んで、改めて、主の奇跡は、勝手に降り注ぐものではない・・・と思い直しました。

私たちが、多くを語らない主を信頼し、応答し1歩踏み出すかどうか・・・

今日、主からの問いかけに迷わず応答する事が出来ますように。

1歩踏み出すクリスチャンとなれますように!

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