八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
ヨハネ20:26
イエスさまが十字架にかかり、蘇られ、弟子たちに現れた時の場面です。
弟子たちは、イエス様が亡くなられてから、怯えていました。
ユダヤ人たちが次は自分たちを捕まえにくるのではないかと、弟子たちは集まり怯えていたのです。
戸を閉じていたと書いてあるので、警戒していたんだろうなと想像します。
そこに、イエスさまが現れたのです。
まず始めに言われたのは「平安があなたがたにあるように」
イエスさまは、弟子たちの心情を分かっておられたのです。
そして、イエスさまは手を見せ脇腹を触らせ、怯えている弟子たちに「私だ」と確信を持たせたのです。
そしてイエスさまは昇天される前に、弟子たちに「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と言われました。
怯えていた弟子たちは、大胆に福音を伝える者と変えられたのです。
私は、韓国に留学する前に、3ヶ月ほど韓国語教室に通いました。今のように韓国語教室が沢山ありませんでした。
初日は体験レッスンでした。その教室の先生は年配の男の先生でした。
「え?日本人なのにどうして韓国語を習いたいのですか?」と聞かれ「私、クリスチャンなんです。韓国に留学して、出来たら神学校に行きたいんです。」と答えたら、
「えええええ!!」と凄く大きい声で驚かれました。
どうして驚いたのか聞いてみると、その方は韓国の教会の長老さんで、日本に住んで40年以上たったそうです。そして日本人が自分から「私クリスチャンです」という言葉を初めて聞いたそうです。
その言葉に私も少し驚きました。みんな、クリスチャンって言わないのか・・・
皆さんはどうですか?
自分はクリスチャンだと言いますか?
日本にクリスチャンは1%だから、私たちはマイノリティ(少数派)な立場です。
でも、世界で見たら、3分の1がクリスチャンです!!
私は、「1%のクリスチャン」って少し気に入ってます。(もちろんもっと増えて欲しいと思ってますが。)
見失った1匹の羊みたいじゃないですか? 主は、1匹を見捨てませんでした。99匹を置いて1匹を探しに行き、見つけたら大喜びしてくれたのです!
日本は長く1%のままです。私は「日本は1%」と聞くたびに、「でも私は決して見捨てないよ」と言われてるような気がします。
イエスさまが十字架で亡くなられて、弟子たちは立場が危うくなり、恐れを感じました。
しかし、復活したイエスキリストに出会う事によって、変えられたのです。
イエスさまが昇天され、目に見えなくなっても、弟子たちの心は熱いままでした。
イエスさまが共に居られた時よりも、大胆に証しする者と変えられたのです。
弟子たちがこの様に変えられたのは、復活したイエスさまに会えたから。イエスさまがどの様なお方か体験したからです。
「私はクリスチャンです」という言葉は、伝道の第一歩です。
この言葉なしに伝道は難しいと思います。
自分がクリスチャンだと話して、拒否されたとしたら・・・私はそれはそれでいいと思っています。この世的な表現で言えば「この人と私は縁がなかった」と思います。
少しでも反応があれば、「え?クリスチャンなの?へーそーなんだ!」と言われれば、「え?クリスチャンの人初めて?(笑)」とか「教会行った事ないの?(笑)」とか少しづつ話を広げていけます。
それに、相手に私がクリスチャンだと分かって付き合う方が、私も楽です。「キリストありき」な態度でいれるから。
私たち、共に第一歩、歩みましょう!
今日も、主の中で豊かな一日となりますように!
私たちが、証していくクリスチャンとなれますように・・・