主の香りを放つ生き方【Ⅱコリント2:15】

2022年

私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

Ⅱコリント2:15

私たちはクリスチャンとして、「キリストの香り」を放つことが出来ているでしょうか?

どの様に信仰を持たれましたか?

私は、母親が熱心なクリスチャンでした。 亭主関白で父親はノンクリでしたので、幼い頃に教会へは通えませんでした。

母親は、父親が家を留守にしたら(自営業でしたので配達など)、母親は慌てて、私たちが何をしていてもお構いなしに、子どもを集めました。そして家庭礼拝をしてくれていました。

小さい時は、そういうものだと思っていましたが、子どもが大きくなるにつれ、一人ずつ家庭礼拝に参加しなくなりました。私も中学に上がった位から、「今忙しい」とかという理由で家庭礼拝に参加せず、始めは5人(母と子ども4人)で守って行っていた礼拝が、一人抜け、一人抜け・・最後は母親だけで長い時間、家庭礼拝を守っていました。

今思えば、母親は一人での家庭礼拝、辛かっただろうなと思います。長い年月、涙を持って家族の救いの為に祈っていたのを知っています・・・

そして、1993年の「甲子園ミッション」という甲子園を借りての超教派の野外礼拝に、参加することになり、そこから教会へ通うようになりました。

信仰は、伝える人が居ないと持てないのです。 とりなしの祈りがないと、心が開かれないのです。

誰もが、信仰を持つきっかけは、誰かに福音を伝えてもらったから、クリスチャンとなれたのです。

・・・という事は、私たちは、伝えるクリスチャンとなるべきなのです。

このような御言葉があります。

たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。(ヤコブ2:26)

もちろん福音を人に伝えるという事は大切ですが、「行い」とは「伝道」だけではないです。

普段何気ない行動や、言葉にもキリストの香りを放つことが出来るのです。

ただ、自分が「クリスチャンである」という事は、自分の周りに伝える必要はあります。

自分がクリスチャンであるという事を、秘密にして、良い行いや親切な言葉がけをしたとしても、それは単なる「良い人」とし認識されるだけだからです。

キリスト者は、主の証人として生きるべきなのです。

私たちが、誰かに福音を伝えてもらった様に、私たちも隣人に伝える必要があります。

伝道するということに、ハードルが高く感じるかもしれませんが。

まず、自分がキリスト者であるという自覚を持って、「クリスチャンです」と伝えることも、伝道のまず第一歩だと思います。

始めから、福音を伝えるというのが難しい場合、「教会っていいよ!」という一言も大きな伝道だと思います。

まず、第一歩を行動できるキリスト者になりましょう!!

今日、出会った人に自分がクリスチャンだと伝える事が出来ますように・・・

お祈りしております!!

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