「長い道路掃除」から学ぶこと【マタイ6:34】

2022年

あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

マタイ6:34

 

明日の事は明日が心配する・・・有名な御言葉です。

この御言葉を読むと思い出す本があります。

「ミヒャエル・エンデ」のファンタジー小説『モモ』という本を知っていますか?

『モモ』のサブタイトルは、《時間泥棒と 盗まれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語》です。主人公の女の子モモが、時間泥棒が人々から盗んだ時間を取り返すお話です。

 

モモには大切な友人に、年は離れたおじいさんが居ました。道路掃除を仕事とするベッポという人です。このベッポがモモに対して話した言葉に、このような言葉があります。

 

《「なあ、モモ」と彼はたとえばこんなふうに始めます。「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

ここで彼はしばらく考えこみます。それから、やおらさきをつづけます。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。…するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。…ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでも分からん。」彼はひとりうなずいて、こうむすびます。「これがだいじなんだ。」》(『愛蔵版 モモ』大島かおり訳、岩波書店、2001年)。

 

長い道路を掃除で受け持つとき、先の方をばかり見ていると、いつまでたっても終わらない気がする。心配でたまらなくなり、焦ってしまう。しまいには息が切れて、動けなくなってしまう。そうではなく、大切なのは次の一歩の事だけを考えることだ、とベッポは語ります。次の一歩を、次の一呼吸、次のひと掃きの事だけを考えて、掃除をして行く。すると、楽しくなってくる。そうして、気付いた時には、道路の掃除が全部終わっている。

 

このベッポの言葉は、とても考えさせられます。

私たちの日々の生活においても、大切なことです。 今日を飛び越えて、明日のこと、将来のことをばかり見ようとすると、私たちの心は、心配と、焦りが襲ってきます。今日感じる事が出来るはずの、楽しみ、喜びが失われるのです。

反対に今日のこと、今するべき事、今できる事に考えを集中する事が大切なのです。

 

今日と言う日、「今この瞬間」を大切に生き、楽しむ。その積み重ねが、まだ見ぬ「明日」という日に繋がって、未来を形づくるのです。

 

イエス・キリストの言葉はすべて、「いま・ここ」にいる私たちに向けられているものです。

「明日」の私たちではなく、「昨日」の私たちでもなく、今この瞬間、この場所に生きている私たちに向かって語りかけられている言葉です。

「今、この瞬間の私を、主は愛してくださっている」という事です。

「今、この瞬間」の安心の中で、次の一歩、次の一呼吸に集中する事を、主が望まれています。

 

今日を飛び越え、明日を見つめて生きないように・・・

今日も主の中で、主を呼びながら生きましょう!

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