本当の自信とは【イザヤ43:4】

2022年

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

イザヤ43:4

 

自分に自信はありますか?

多くの人は、自分が人からどうみられているか評価が気になります。人からの評価によって自信をもったり失ったりする人が多いです。

または、人と比べて自分の方が勝っていると感じれば自信を持てたりもします。

人からの評価や、人と比べてという自信は、他人によって自分の自信が左右されます。

他人に左右されない自信を持つことは出来ないのでしょうか?

本当の自信と言うのは、他人の評価に左右されるものではないと思います。

 

世の中は、何かが出来るか出来ないかで評価してしまう事が多いです。

ですから、私たちはこの世でしっかり生きて行く為に、人にバカにされないように、高い位置に立つために、学歴や職歴、容姿、財産、名誉など様々なものを追い求めるのです。 しかし手に入れる事が出来なければ、自信はおろか劣等感を感じてしまうのです。

 

聖書には「あなたは高価で尊い」と書かれています。何かが出来る、何かを持っているからではなく、私たちの存在そのものが価値がある、と言われるのです。

しかし、主を信じるクリスチャンでさえ、この御言葉を「へーそうなんだ」ぐらいにしか受け取ることが出来ません。

今まで生きながら間違った評価を受けすぎたからです。それは親でさえ、間違えた評価を我が子に与えてしまうのです。親は、自分の計画通り、思う通りに子どもが言動しないと、いとも簡単に子どもを否定してしまったりします。

親もそのように育ったからです。親の前の世代も、その前の世代も、皆が間違った評価を受けながら傷つきながら、自信をなくしながら生きて来たのです。だから自分の子どもにさえ、そのように否定したり自尊心を傷つけてしまったりするのです。

親や周りの人から、自分に対する否定的な言葉や態度が、無意識のうちに自分にすり込まれ、大人になっても自然に自分はダメだと思ってしまう状態なのです。

まず、この部分の癒しが必要です。多分誰もが、思い出したくない部分だと思います。しかしこの無意識にすり込まれている否定的なものに自分の目を向け、その傷ついた部分に主の光を当てる必要があります。

私たちは、無意識にある根っこの部分に傷や恐れがあることを認めて、神様にいやして下さいと折るのです。その時から、確実に私たちは変えられていくのです。

人と比べるのではなく、あるがままの私たち自身が、神の目に高価で尊いという言葉を受け取って、本当の自信を持って生きる人生へと歩み出せるようになります。

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