さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
へブル4:14-16
今日こそ、主を思いながら一日を過ごそう!と心に決めても、なかなかうまくできず、、、就寝する前に思い出すことってありますよね?
一日で主を何度も思い出すのって難しいですよね。
私も布団の中でため息をする日が多いです。
主はそんな私たちをどの様に見ておられるでしょう?
イライラと私たちを見ているでしょうか?
一番大事なのは「一生、主と共に歩み通したい」と、心の底から願っているかどうかです。
どうしてかと言うと、主を思いながら一日を過ごすという事は、かなりハードルが高い目標です。完全に達成できる人は居ないからです。
だから、あまりにも出来ない自分に対して、落胆する必要はないです。自分はダメだと心を押し潰されないようにした方が良いです。
主は、日常で私たちが主を思い出し、心を込めて「主よ!」と呼びかけたり、話しかけたりする度に喜ばれていると思います。
私たちは、主の世界に生きながら、この世で生活しているのです。
この世には、沢山の情報や刺激が溢れているのです。また生きて行く為に仕事をしたり、子どもを育てたり、ご飯の準備をしたり・・・しないといけない事が山ほどある世の中に住んでいるのです。
また私たちを主から離そうとする力が働いている事を忘れてはいけません。私たちの注意をそらそうと仕組まれているものが沢山あるのです。私たちは単に「忙しい」と思っていますが。
主は、私たちの状況をご存知です。一番大切なのは、心の在り方です。どの様に切に願っているかです。
この世の中で、主を思い出し、「主よ」と語る度に、主は喜ばれ、私たちはこの時「小さな勝利」を得ているのです。
私たちが日常で主を思い出すという事は、どういった状態でしょうか?
日常で主を思い出すというのは、本当は難しい事なのです。主のもとへ行こうとしている自分の心の道は塞がれており、私たちの注意を乱されています。その中で、私たちは邪魔するものを掻き分けて、やっと主を思い出すとが出来るのです。
だから、日常で主を思い出せ、主の名を呼べるというのは、小さな勝利なのです。
この小さな勝利を積んでいく事が大切です。
小さな勝利を高く積む事により、強い神の子として信仰生活を歩めるからです。
今日も、小さな勝利を一つでも多く積みましょう!