心にあるゴミやガラクタ【エペソ3:20】

2022年

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、

エペソ3:20

 

皆さんは、主への願いってどの様なものがありますか?

学生なら、受験であったり、就職活動、社会人であれば、ノルマ、契約、昇進や日々の仕事も人間関係も円滑に、良き結婚相手に出会いたいし、安定した生活を送りたい、健康、住む家、必要に応じて欲しいものが沢山出てきます。車であったり、出掛ける時の服も欲しい。もっと切実に、今月の家賃であったり、生活費や学費。子どもの習い事もさせたいし。今の時代は特に、病気にかからないように、平和な世の中になるようにと切に祈りますよね。願いなんてキリがないぐらい、山ほどあると思います。

 

こんな経験はないですか?

凄く凄く手に入れたい物があります。手に入れるのに凄く時間がかかりました。でも実際に手にしてみたら、手に入れたという事に満足したり、思ったより喜びが長く続かなかったり。一つを手に入れると、直ぐに次の一つが現れます。

どうしてでしょうか?

大人も子どもと同じですね。子どもは欲しいものがあると、どうしても手に入れたがります。駄々をこねて買ってもらっても直ぐに満足し、また違うものを欲しがります。

大人は、子どもに与えてあげても、直ぐに満足し長く満足し続けないと知っています。

知っていても、子どもが可愛くて、大人はあげたくなるのです。ただ、子どもが要求するものを全て与える訳ではないです。本当に必要がない。今ではないと思うものは与えないです。

 

主も同じです。

主はご自分の中に、私の全てを持っておられるのです。主の中で私は完全なのです。

主は私たちが望むもの、全てをお持ちなのです。ただ、主が必要ではないと思うもの、今ではないと思うものは、与えて下さらないのです。 私が欲しいものと、主が私にとって必要だと思うものは違うのです。

 

これは物欲だけでなく、思考も同じ。自分の中に必要な思考と、本当は不必要な思考があるのです。主が思うに、私たちは不必要に心配したり、気を揉んだりしているのです。

私たちの心から、不必要な物欲も、不必要な思考も取り除いてもらえるように、祈る必要があります。

私たちの心から、自分が欲しているものは、実はごみやガラクタだったと気付くと、それを自ら不必要となり、欲望から手を放すことが出来ます。不必要を手放すことにより身が軽くなり、主を感じやすくなり、主ともっと近くに居る事ができ、主に対する思いが増します。

主に対する思いが増すと、、、自然と、願望や欲望が減ってきます。主を愛している事が、心底自分にとって、何事にも変えられない大きな満足となるので。

 

自分の中に、願望・欲望など多いかどうかで、主との距離感も分かりますね。

今日も一日、主と沢山の会話をして下さい。

今ある状況、考えていること、全て話してみて下さい。

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