私の道をまっすぐにするもの【箴言3:5-6】

2022年

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴言3:5-6

 

私たちは色んな事を知りたがります。

これはどうしてこんな結果になったんだろうか。あんな反応をするのはどうしてだろうか。どうしてあんな返答をしたのだろう。これの存在意義はなんだろう。〇〇とは何か。

 

目の前にある問題、疑問がある時は、心に平安がなくモヤモヤとした苦悩の様なものがあります。だからそこから早く抜け出したい、解決したいと答えを欲しがります。スッキリ理解して、問題の答えを悟ってから次に進みたいのです。

スッキリした悟りを得ると、自分がレベルがアップしたように感じ、知恵がプラスされたように感じます。

今までのモヤモヤとした苦悩の様なものがなくなり、悟りを得ることによって、ある時は気持ちがポジティブになったりもします。

しかし、困った事に、問題、疑問、苦悩のようなものは、一つをやっと解決しても、次から次へとやってくるのです。

一つの問題に悟りを得るのに時間がかかることが多いです。やっと一つ腑に落ちたと思ったのに、休む間もなく、また問題降りかかってきます。

 

聖書には「平安があなた方にあるように」と言われました。(ヨハネ20:19)復活されたイエス様が弟子たちに現われ、始めに言われた言葉です。

私たちはいつまでこのモヤモヤとした苦悩の時間を過ごすのでしょうか? この時間は平安とは程遠い状態です。

旧約聖書の知恵の書を書いたソロモン王。人類で一番知恵のある人物です。ソロモンは、知恵と聞き分ける心によって義にかなった裁きを行うことができる賢者として有名であり、主に祝福されてた王でした。 しかし後に、ソロモンは主に対して大きな罪を犯します。ソロモンは、異教の妻たちをめとり、彼女たちが持ち込んで来た偶像礼拝を容認しました。また、ソロモン自身も偶像礼拝を行いました。

知恵と悟りが豊のあるソロモンでさえ、伝道者の書には「人生は虚しい」と記しています。

ソロモンは、知恵が与えられました。それで世で起こっていることをじっくりと見て、知恵により人を裁き、国を治めたのです。いつの間にか、「主から与えられた知恵」であることを忘れ、主を見上げることを忘れました。そのために、世には空しさしかない、という結論に達し、それ以上を見ませんでした。

 

私たちも、様々な問題や疑問を悟ったとしても、そこで得る満足感は一時的です。

悟りが、人生に平安を与えてくれないのです。

しかし、聖書には「知恵と悟りを得よ」と箴言4章に書いてあります。

 

今手に入れた悟りが、「主から与えられた知恵」であるということを忘れがちなのです。悟りを得ようと物思いにふけり、主を見上げることを忘れるので、「人生が虚しく」感じるのです。

 

人間には、物事を何としても理解したいという強い思い・欲があります。それらを得る事で、自分の人生を自分が理解し、自分の望み通りに歩み、自分の人生は自分が支配したいという思いが心の根底にあるからです。

知恵や悟りを得ても、主を見上げることを忘れては人生が虚しくなります。

主の平安は、悟りを探し求めるように、隠されたものを見つけるかのように複雑なものではないのです。

「平安」は、主を見上げれば頂けるものなのです。

 

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:5-6)

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