必死で祈ったのに、なぜ祈りが聞かれないのか【ヨハネ1:42】

2022年

彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」

ヨハネ1:42

普段あまり、YouTubeを見ないのですが。

偶然、目にしたYouTubeがあります。 どこかで見覚えがある方だな・・と思って見て見ると・・

韓国の神学校の恩師でした。

お元気そうで何より・・と思って見ました。すごく私の心に響くメッセージをされていましたので、シェアしたいと思います。

先生は、今は教授をされておらず、教会の主任牧師です。

教会員の方に、世界チャンピオンのボクサーの女性がおられるそうです。そしてある日、その方から先生に電話があり、「世界タイトルマッチがあるので祈って欲しい」と言われたそうです。

先生は、すぐさまロッカールームへ行き、頭に手を置き「神さま、勝てるようにして下さい!」と祈られたそうです。

その後、試合を観戦されました。1ラウンドから攻撃を受け押され気味です。先生は「勝たせてください!」と懸命に祈ります。

2ラウンドも押され気味・・「主よ!勝たせてください!」

・・結局負けたのです。先生は懸命に祈り続けたのに、負けたのです。

数日間悩まれたそうです。「祈ったのに、何故?」「何故、負けた?」

そして、主が語られたそうです。「何故、勝たないといけないのか?」 先生はすかさず「私はいのったじゃないですか?」と答えました。

先生は、担任牧師として大会に呼ばれ、皆が見ている前で彼女の勝利を祈ったのに・・・

私は彼女の勝利を懸命に祈ったのにも関わらず、彼女が負けたことへの疑問、主はどうして祈りを聞いて下さらなかったのかという疑問・・・主に対しての疑心暗鬼な思いが、どこから来るのか・・・

先生は、この不可解さを感じる疑問の根底に、実はこれは、「自分の自尊心の問題」だと気付いたそうです。

1年後、また彼女から電話があり「世界タイトルマッチがあるので祈って下さい」と。

先生はまたロッカールームへ行き、頭に手を置き祈られました。そして観戦。

アッパーカットでKO勝ちだったそうです。

そして、彼女はその場で跪いて主に祈ったそうです。

先生は、一年越しに主から答えを貰ったそうです。

「私は、この時を待っていた。一年前に勝っていたら、彼女は跪いて祈らなかったでしょう」

神さまは、私たちを通して栄光を受けることを望まれる方です。

自分の祈りが叶うことで信仰を持つのではなく、

祈りによって、神さまの栄光があらわされると確信出来た時、

私たちは「人格的な真の信仰」にたどり着く事が出来る。

 

私たちが信仰生活を送る事が出来る事、またこの地で主によって勝利出来るのは、

私が神さまを信じる信仰があるからではなく、神さまが私を信じて下さるから。

 

しかし、信仰生活を送っている中で、私たちの信仰がない事実が明らかになる時がある。

それは自分の中に「誰かに認められたい」という思いが生じる時です。

主以外に、認められようとする時、私たちには「真の信仰がない」のです。

私たちが持つ信仰は、神さまが私を認めて下さったという事。

イエスさまは、ペテロを呼び「今からあなたの名前をペテロと呼びます」と言われました。ペテロとは「岩」という意味です。

しかし実際のペテロは、状況によって簡単に動かされてしまう「砂利」の様な性格でした。失敗ばかりの人生で、感情のコントロールも出来ない人物でした。

しかし、主はずっとペテロと呼び続けました。イエスさまが十字架で死に復活した後、ペテロはまた昔の姿に戻ってしまっていました。魚を捕る漁師です。

そこにイエスさまがもう一度現われ「あなたは私を愛するのか?」と聞かれました。イエスさまは最後までペテロを信じたのです。状況によって簡単に左右されてしまうペテロを信じ続け、最後までイエスさまは「ペテロ」と呼ばれたのです。

そして、ペテロはそれ以降「岩」のような人生を歩む事が出来たのです。

主が、状況に左右されるペテロであっても、ペテロは岩のようになれると信じたのです。

 

また、私たちが神様を信じる信仰より、もっと大切なことがあります!

神さまが私たちを信じているという事。

私を信じて下さる神さまがおられるので、私たちは揺るがない信仰を持って生きる事が出来ます。

 

短いメッセージの中に、沢山の恵みを頂きました!

良かったら皆さんも動画を見て下さい!

今日も、私を信じて下さる主に感謝し歩みます!

祝福の多い一日となりますように・・・

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