この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。
へブル6:19
主を常に自分のセンター(中心)に置こう! 心のセンター。意識のセンター。
私たちは、「今日、主と共に歩む一日となりますように」と祈っても、日々の生活は忙しく、刺激的なものもが溢れています。テレビに夢中になったり、スマホやSNS、ゲーム、友達との会話、ショッピング、美味しいご飯であったり、あるいは仕事・・・
気が付いたらもう、寝る時間・・・ 今日一日、主を何回思い出しただろう? 主を忘れ没頭した時間が長かったことに気付いたりします。私たちの心は直ぐにさまよってしまいます。
これは、ある意味仕方がないような気もします。
問題は、どれほど主から離れるかだと思います。 果てしなく遠くまで離れてしまっているのか、それとも、さほど遠くまで離れていないのか・・・
船が漂流してしまって、岸から離れ、時間が経過すればするほど、波に押し流されるように、岸から遠く遠くまで流れて行ってしまいます。 時間がもっと経てば経つほど、どこの岸から流されてきたのか分からなくなります。帰り道が分からなくなるのです。
船は、岸から流されないようにする為、「錨(いかり)」をロープで岸にしっかりと繋いでいるのです。
私たちもこの錨が必要です。
自分の心が主から離れすぎてしまったら・・・ 船が大海原を漂流するように、私たちも帰り道が分からなくなります。 イエスキリストから救いを頂いて置きながら、洗礼を受けた時の喜びを忘れ、流されるまま、この世の中に漂流してはいけないのです。
今日の御言葉の「この望み」とは「主に対しての希望」と言う意味です。
希望が、「たましいのための錨」であると書かれています。
主に対しても希望を持ち続けることが、私たちの信仰の錨となるのです。
私たちが遠くまで漂流してしまわないように、しっかりと錨を繋げるのです。
そして、何があっても直ぐに主の元に変えれるように、錨のロープを短くする必要があるのです。
ロープを短くするために、心のセンターに主を置くのです。意識のセンターに主を置くのです。他に意識が関心がながれてしまっても、センターへ戻る練習をするのです。
この練習をすることによって、錨のロープが短くなっていきます。 いつも主の近くに居ることができるのです。
自分のたましいがこの世を漂流しないように・・・信仰の錨をしっかりと繋げましょう!