だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイ6:33
私は次男の学校の、学校評議員です。
今日は病院の仕事の夜勤明け。
仕事を終え、そのまま学校へ行き「評議員会」に出席。
学校の先生が私の顔を見て
「お疲れ様です。今週で何回学校来られてます?(笑)」と言われました。
先生が感じている以上に、
学校外でも人に会ったり、家でも文章を書いたりまとめたり…💦
作業に取り組みながら、
頭の片隅で違う事を考えたりもしています。
「この学校の問題が解決したら…こんな事したいな~」と
考えるのです。
忙しく過ごしている時期って、頭の中で、
忙しさが過ぎ去ったら、あんな事をしよう。こんな事をしたい。と思うものです。
今日も、学校からの帰り道、
体力的にも疲れているし、眠いし…
電車に揺られながら、あー学校の事が終わったら、
色々としたい事を考えていました。
このような「この状況が終わったら…」という想像をする時、
思い出す話があります。
韓国の神学校の恩師が言われていた話なのですが、
韓国では、牧師先生には「安息年」というのがあります。
牧会7年目に1年間の休みを得るのです。
この恩師は、大学の神学部の教授でありながら牧会もされていました。
もうすぐ「安息年」に入るという時の話です。
6年間、毎日早天祈禱会を捧げ、
大きな教会の牧会をされいていたのです。
1ヶ月後に始まる安息年。
「安息年には何をして過ごそう??」とワクワクしながら想像していたそうです。
「あ… 若い時にしていたテニスを久しぶりにしたいな」
「やっぱり旅行は行きたいなあ…まずどこの国から行こうかな…」
「月に一回は登山に行きたいな」
「健康の為に、週に3-4回運動をしたいな…」
「ゆっくりを沢山の本を読みたい!
昔読んだ本を、もう一度全部読んでみたい…」
「ずっとしてみたかった楽器に挑戦してみようかな」
そう思って、安息年が始まる前に
知り合いのバイオリンの先生に一度レッスンを頼んだそうです。
ワクワクしながらレッスンに望んだそうです。
しかし待ち望んだレッスンを受けながらも、
この1年をかけてピアノをやってみても良いかも…!
そう思った瞬間、
「人間は、死ぬまでこの様に生きていくんだろうな…」
と思ったそうです。
…あれをしたい。これもしたい。
今の忙しさが収まれば、あれをしよう!
あれ、楽しそう! 時間が出来たらやってみたい!
このような思いが次から次へと起こってくるそうです。
したい事、やってみたい事、沢山あるのです。
そして次から次へと増えていくのです。
それを追い求めながら生きる。
それを待ち望みながら生きる。
したいと思っている事が多いのです。
しかし、全てをする事が出来ない…
したいと思っていた事をやっと出来ているのに、
頭の中ではもう次を考えているのです。
その現状に気が付き、
「一番大切なことが、最も大切なこと」なんだ!と思われたそうです。
私たちは多くのしたい事の中から、
何をするのか選択しないといけないのです。
「私たちは主の愛の中で生きるために、
私たちは御言葉を学ぶべき。
御言葉を学ぶ事を選択せずに、
主の弟子となる事はできない…
私たちは、日々、御言葉を選択しないといけない!」
と言われていました。
現代に生きる私たちは、日々目まぐるしく忙しい中で生きているのです。
だから尚更、
日々、御言葉を選択するという意識を持つべき…
電車に揺られながら、
「神さま、今日も私はあなたを選択する者となりますように…」と祈りました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)