どうして沢山祈る必要があるのか【Ⅰテサロニケ5:16-18】

2024年

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。                          これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

Ⅰテサロニケ5:16-18

病院の仕事で、器具を洗浄する仕事、

また、病棟の手すりや器具を除菌シートで拭き上げる、フェイスシールドを作るという仕事があります。

この3つの仕事をする時は、私は祈りの時間なのです。

また各病棟に点滴や薬を届けるという仕事があり、病院内を歩き回る時間があります。

この時は、この病院について祈る時間としています。

昨日も祈りながら仕事をしていて、ふと思ったのです。

教会では、沢山祈るように言われます。

聖書にも、祈りの重要性が書かれており、祈り求めるように書かれています。

どうして、「沢山」祈るのだろう… と思ったのです。

「沢山」祈る必要性はなんだろう…

そして黙想しました。

神社などの場合も、願い事を祈ります。多分その祈りは短いです。

パンパンパン… 今年も健康な1年を過ごせますように!とか。

「〇〇できますように」という祈りが多いように思います。

合格しますように。結婚出来ますように。事業が成功しますように。病気が治りますように。

そして、それは自分や自分の家族について祈る事が多いと思います。

私の想像ですが、

神社に行って「Aさんの病気を癒して下さい」とか「Aさんが結婚できますように」という祈りは割合的には凄く少ないのではないか…

また「Aさんに信仰を与えて下さい」とは祈らないと思います。

それに対して、私たちは自分の祈りもしますが、

‟とりなしの祈り” があります。

「Aさんの仕事を祝福してください」「Aさんのお子さんが受験生です…」「Aさんのご主人が救われますように」と祈る事が多いです。

どうして、私たちは長く祈るのでしょうか。

どうして、沢山祈る事を求められるのでしょうか。

神社の場合、もしかしたら年に一度しか祈らない事も多いと思います。

主は、私たちに願う事を何でも祈りなさいと言われています。

一度、祈れば私たちの願いは伝わるはず。

聖書には、私たちが願う前に、主は私が何を願っているのか知っているとまで書いてあります。

また、仮に私たちが一度だけの祈りであったにしても、

主が私たちの祈り(願い)を忘れる事もないはず。

なのに、長く、何度も祈る事を推奨するのは… どうしてでしょう。

それは多分、主と私との関係性が、一方的では無いからだと思います。

神道の場合、一方的に願いをつらつらと申し上げる…と言った感じだと思います。

これこれについて、よろしくね!と言った感じに。

しかし私たちは、主と個人的な関係を結ぶことが出来るのです。

友達と一緒で、共に過ごす時間が長くなれば、相手を知ることができ、深い関係を持つ事ができます。

しかし一方的な関係性の場合、願いを伝えて終わるのです。

そして、とても重要な事があります。

私たちが祈りを通して、自分の願いを祈ります。

そしてその願いを何度も祈る中で、

その願いを何日も祈る中で、

心に変化が起こるのです。

自分の願いを叶えて下さい。という祈りは、

私たちが主を動かそうとしているのです。

キリスト教の祈りとは、

私たちが主を動かすのではなく、

私たちが主の方に動くのです。

自分の願いはある。しかし主はそれに対してどう思われているのか。

主が私に願うのはなにか…

主の計画はなにか…

主は私にとって何を最善と思われているのか…

という事を、長い祈りを通して少しずつ知ることになるのです。

私たちの祈りは…私たちが主を動かすのではなく、私が主の方に動く。

変わるのは私なのです。

私たちには、強い自我があり、欲もあります。

その強い自己中心的な考えが変えられるのに、時間がかかるんだと思います。

余り祈らない人は、

このような自分が変わるという経験が少なくなるので、

「祈っても主は私には与えてくれない」で終わってしまうんだと思います。

私たちの自我は強く、

「神さま。Aが欲しいです」「ダメだよ。あなたにとってはBが最善!」という風に

祈って直ぐに答えを得れたとしたら…

私たちは反発します💦

どうして??? 絶対にAでしょ! 私はAが欲しい!!

私たちは、長く深く祈ることにより、徐々に「自ら」が悟っていくのです。

自分の気持ちが、自ら納得できるように。

私たちは、いつも「主は祈りの答えをなかなかくれない…」と思っていますが、

主は多分「あなたの自我もなかなか頑固…」と思っておられるかも(笑)

聖書の中には、祈りによって主の心を動かしている場面もありますが、

基本的には、主を私の方に動かすのではなく、

私が、主の願いを自分の願いとして持つ事が出来るように…

沢山の時間、祈る必要があるんだと思いました。

これは、私たちがベストな道を歩む事が出来るように、主が願っておられるからです。

聖書には「絶えず祈りなさい」とあります。

時間を割いて祈る祈りだけでなく、

生活の中でも絶えず祈る事によって、

自分の心を主に寄せやすくなるのではないでしょうか。

自分の心が、自分の願いを一旦横に置き、主を見上げやすくなる…

その為に、「絶えず祈る」という事が必要なんだと思います。

これからは、まず…

「神さま。私があなたの御心通り歩む事が出来ますように。

あなたが持っている目的通り生きる事ができますように。

私の人生があなたの素晴らしさを表すものとなりますように。」

と、絶えず、口癖のように祈ろうと思います。

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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