自分の人生の選択は最善か【ガラテヤ2:20a】

2023年

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

ガラテヤ2:20a

人生は選択の連続だと言われています。

今日何をするか。何を食べるか…という事から、どの学校に進むか、どの会社に勤めるか。

誰と結婚するか。という問題まで。

また、今日聖書を読むか、祈ってから寝るか、という事も選択の1つです。

日々の食事のような小さな選択も、積み重なって人を健康にしたり不健康にしたりと、人生に影響を及ぼしたりします。

今までの選択の中で後悔した事や、

または「別の選択をしていたら、今頃どうなっていたんだろう?」と、今とは違う人生を想像したりする事があると思います。

先日、仕事で病院に行った時、

夜遅くに緊急入院されてきた年配の男性Aさんがいました。

入院に関する書類にサインを貰う為、病室に行くと「かばんの中にある眼鏡を取って下さい」と言われ、

その声が震えていて、どうみても不安真っ只中な様子。

私は、Aさんの前にかばんを置き、かばんを開けメガネを探しました。

そして、見つけたのです。

「主とともに」という一冊の本を!!

「え?? Aさん! クリスチャンなの??」と聞くと

「え…あ…💦 まあ…」という答え

「何が ‟まあ…” なんですか~(笑)  自信もって ‟はい” って答えて下さいよ~! 私もクリスチャンです!!」というと、

パッと表情が明るくなり「本当に??」

私「本当ですよ! えーーお会いできて嬉しいです!!」と言うと

A「神さまって、備えてくれてるんだな~」と言われたのです。

話を聞くと、不安いっぱいで入院された様子。

どうして「まあ」と答えたのか聞くと、礼拝は行ったり行かなかったりという信仰生活を長くされていた様子。

そして今回の入院は本当に不安で、思わず家にあった本をかばんに入れて来たというのです。

私「えーー凄いですね!! かばんにこの本がなかったら、互いにクリスチャンだとは分からなかったですよね~!」

そして、私は長く病室で1人の人と話をする時間はないので、

仕事の合間合間に顔を覗きに行き、話をしました。

私はAさんに、どうして不安なのか聞きました。

A「死ぬかもしれないから。自分の人生はこれで良かったのか。自分の人生の選択は間違っていなかったのか。信仰生活ももっとちゃんと送っておけば良かったような気もする…」

私「Aさん、イエスさま信じてないの? 私たちはイエスさまの十字架の死で罪赦され、死んでも天国に行くじゃないですか~!」

A「それはそうなんだけど… 自分の人生はこれで良かったのか。もう終止符を打たないといけないのか…」

私「大丈夫!! 少なくとも今、生きてるじゃないですか。まだ時間が与えられているって事です!」

…それから、私は自分の意志とはちょっと違い「どうして私はこんな事話してるんだろう…」と思いながら話をしました。

「Aさんは自分の人生に後悔してるんですよね~ もっとこうすれば良かった。違う道を選べば良かったって。

その気持ちも分かります。でもねー 大丈夫ですよ! Aさんは正解の人生を歩まれたと思います!」と話していました。

「私たちの人生は、自分の数多い選択で歩む道は違って来るけど、でもAさん、大丈夫!

‟Aさんの人生”の所有者は、神さまだから。」

「自分の人生の所有者が自分だと、常にこれが正解なんだろうか…私は最善を選択できたのだろうか…って思って生きる事になる。

最善の選択を繰り返し、最善の人生なんて、歩める人はいるのかな…これは不可能に近い生き方。」

「パウロって知ってますか? パウロは ‟生きているのは、もはや私ではない。キリストが私の内に生きておられる” って言ってるの。

Aさんの人生は、Aさんのものではく ‟キリストの人生” なの。

Aさんの人生は、キリストが所有する人生という意味だと思う」

主が全てを収めて下さっているから…  Aさんはこの人生で良かったんですよ!」

「Aさんにはまだ時間が与えれますよね。本当に良かった!

入院中は、主が選んでくださったこの本を読みましょう!!

多分、主が今、Aさんに語りたい!と思っておられるメッセージが書かれてる気がする…」

何度も部屋に行ってはこんな話をしました。

私は「え…私が勝手にAさんの人生はこれで良かった!って言って良いのか…?」と思いながらも、

私は何度もAさんに「大丈夫!!」と話していました。

そして数日後に天に召されたのです。

遺族に荷物を渡す為、Aさんが居ていた病室を片付けました。

「主とともに」という本に栞が挟まれているのを見つけ、私は気持ちが慰められました。

Aさんに残された数日の時間、

Aさんは、本のタイトルのように「主と共に」歩まれたんだなあ…

Aさんと出会わせて下さった主に感謝です。

また、Aさんを通して「私の人生」も、私のものではなく「主のもの」である。と感じさせてくださいました。

今日も、私たちに時間を与えて下さっている主と共に歩みましょう!

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