人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている
へブル9:27
昨日、仕事で病院に行きました。
病院へ行く電車の中、賛美を聞きながら祈りの時間を持っています。
今から会う人達(患者さん、看護師さん)の上に。
また業務で失敗をしないように。
仕事をすれば病気の感染リスクが高いので感染しないように。
今日、主が教えようとする事を私が気付くことが出来るように。と祈ります。
自分の病棟にいる時はナースコールがバタバタと忙しいのですが、
病棟を離れ、違う病棟での業務をする時間があり、ナースコールから解放されるので
その時は、〇〇さんに対して祈る。
この長い廊下を歩く時は、△△さんに対して祈る。
仮眠の時間には必ずスマホで賛美をかけ1曲でも賛美する。
多分、この病院は賛美が流れたことがない空間だと思います。だから必ず、そんな空間で賛美や祈りは大切だと思っています。
大体の業務と、業務しながらの祈りのルーティーンを決めています。
そして、昨日、自分の病棟でバタバタとしてると、ナースコールが鳴り病室へ。
初めて見る方でした。最近入院されたのかな…と思いながら「どうされました?」と聞くと、
「私、生きてるの??」と小さい声で聞くのです。
「え… 生きていますよ!(笑) 大丈夫ですよ!」
話を聞くと、緊急手術をしたようで思いもよらず手術し入院。
手術中に先生が慌てているような声を出されたそうです。麻酔をしていて、それを聞きながら眠りに入ったようで
「私…死ぬんだ…!!」と思いながら気を失ったそうです。
そして今、目覚めたと言うのです。
私「ビックリされましたよね。不安でしたよね… でも大丈夫ですよ! 生きています! お顔を見る限り、お元気そうですよ!」
女性「何の準備もなく、もう死んでしまうんだと思って、怖くて怖くて… 」と涙。
私「怖かったですよね… 」
という会話がありました。
「死ぬ準備」しないとダメですね。
殆どの方が、準備なしに突然、思っていたよりも早く、召されるんだと思います。
「この世を去る」という事は、一人の人の人生で一大事な事です。
「誕生」と同じぐらい出来事かもしれません。
一大事な出来事ですが、「ありふれた」事でもあるのです。
どの様な人生であっても、どのような立派な人であっても、必ず通る道だからです。
「準備」って何でしょうか。
「この世の心残りの整理」ではないでしょうか。
あの時、あの人にあんな事を言ってしまった事をお詫びしたい。
要らないものを整理しておきたい。
残された家族や友達に感謝の言葉を伝えたい。
もしかしたら夢半ばで未練があるかもしれません。
何にしろ「この世で整理」したいのです。
しかし、一通り夢を叶え、知人に詫び、去る挨拶をすれば、大丈夫なのでしょうか。
私たちには「死」に対して「怖さ」があるのです。
「死」の先に、何かあると感じているのです。
「死」を目の前に置いた時、自分の人生を振り返ります。
凄く頑張った。凄く悲しかった。凄く孤独だった。凄く悔しい思いをした。
色んな事も思い出しますが、
私たちは裸の状態で何も持たずに、この世を去るのです。隠す事が出来ない状態。
人は、自分の中に「負のもの」を残して去りたくないんだと思います。
「負を残す」事。つまり気掛かりなことを残したくないのです。
自分が犯した「負」を清算したいのです。綺麗にしたいのです。
この世を去った後、続く世界がないのであれば、負で終わってもいいのです。
でも何となく分かっているのです。
続く世界があるという事。
そして自分の負を持って行くのは良くないという事。
私は、この女性と話しながら、
あ…「私、自分の病院が欲しいな(笑)」と思いました。
女性が「何の準備もなく…」と言われた時、
「これから私と準備をしましょう!」と言いたくなりました。(言えてません…)
なんか… 突然、死を目の前にして「準備が出来ていない人を受け入れる病院」って必要かも!と思いました。
死期を考える人に対して、クリスチャンが1人ずつ付き、主の救いに導くのです。
大変な仕事だと思いますが、凄く大切で重要な仕事…
祈ってみようかな…と思った一日でした。
今日も、主と共に時間を過ごし平安の中、お過ごしください!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」