この世を去る準備…【へブル9:27】

2023年

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

へブル9:27

昨日、仕事で病院に行きました。

病院へ行く電車の中、賛美を聞きながら祈りの時間を持っています。

今から会う人達(患者さん、看護師さん)の上に。

また業務で失敗をしないように。

仕事をすれば病気の感染リスクが高いので感染しないように。

今日、主が教えようとする事を私が気付くことが出来るように。と祈ります。

自分の病棟にいる時はナースコールがバタバタと忙しいのですが、

病棟を離れ、違う病棟での業務をする時間があり、ナースコールから解放されるので

その時は、〇〇さんに対して祈る。

この長い廊下を歩く時は、△△さんに対して祈る。

仮眠の時間には必ずスマホで賛美をかけ1曲でも賛美する。

多分、この病院は賛美が流れたことがない空間だと思います。だから必ず、そんな空間で賛美や祈りは大切だと思っています。

大体の業務と、業務しながらの祈りのルーティーンを決めています。

そして、昨日、自分の病棟でバタバタとしてると、ナースコールが鳴り病室へ。

初めて見る方でした。最近入院されたのかな…と思いながら「どうされました?」と聞くと、

「私、生きてるの??」と小さい声で聞くのです。

「え… 生きていますよ!(笑)  大丈夫ですよ!」

話を聞くと、緊急手術をしたようで思いもよらず手術し入院。

手術中に先生が慌てているような声を出されたそうです。麻酔をしていて、それを聞きながら眠りに入ったようで

「私…死ぬんだ…!!」と思いながら気を失ったそうです。

そして今、目覚めたと言うのです。

私「ビックリされましたよね。不安でしたよね… でも大丈夫ですよ! 生きています! お顔を見る限り、お元気そうですよ!」

女性「何の準備もなく、もう死んでしまうんだと思って、怖くて怖くて… 」と涙。

私「怖かったですよね… 」

という会話がありました。

「死ぬ準備」しないとダメですね。

殆どの方が、準備なしに突然、思っていたよりも早く、召されるんだと思います。

「この世を去る」という事は、一人の人の人生で一大事な事です。

「誕生」と同じぐらい出来事かもしれません。

一大事な出来事ですが、「ありふれた」事でもあるのです。

どの様な人生であっても、どのような立派な人であっても、必ず通る道だからです。

「準備」って何でしょうか。

「この世の心残りの整理」ではないでしょうか。

あの時、あの人にあんな事を言ってしまった事をお詫びしたい。

要らないものを整理しておきたい。

残された家族や友達に感謝の言葉を伝えたい。

もしかしたら夢半ばで未練があるかもしれません。

何にしろ「この世で整理」したいのです。

しかし、一通り夢を叶え、知人に詫び、去る挨拶をすれば、大丈夫なのでしょうか。

私たちには「死」に対して「怖さ」があるのです。

「死」の先に、何かあると感じているのです。

「死」を目の前に置いた時、自分の人生を振り返ります。

凄く頑張った。凄く悲しかった。凄く孤独だった。凄く悔しい思いをした。

色んな事も思い出しますが、

私たちは裸の状態で何も持たずに、この世を去るのです。隠す事が出来ない状態。

人は、自分の中に「負のもの」を残して去りたくないんだと思います。

「負を残す」事。つまり気掛かりなことを残したくないのです。

自分が犯した「負」を清算したいのです。綺麗にしたいのです。

この世を去った後、続く世界がないのであれば、負で終わってもいいのです。

でも何となく分かっているのです。

続く世界があるという事。

そして自分の負を持って行くのは良くないという事。

私は、この女性と話しながら、

あ…「私、自分の病院が欲しいな(笑)」と思いました。

女性が「何の準備もなく…」と言われた時、

「これから私と準備をしましょう!」と言いたくなりました。(言えてません…)

なんか… 突然、死を目の前にして「準備が出来ていない人を受け入れる病院」って必要かも!と思いました。

死期を考える人に対して、クリスチャンが1人ずつ付き、主の救いに導くのです。

大変な仕事だと思いますが、凄く大切で重要な仕事…

祈ってみようかな…と思った一日でした。

今日も、主と共に時間を過ごし平安の中、お過ごしください!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

タイトルとURLをコピーしました