私の中の間違った価値観、歪んだ感情【申命記6:4-6】

2023年

聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神、主はただひとりである。

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。

申命記6:4-6

自分の信仰について、どう思いますか?

私は自分の信仰について考える時、私は本当に注意しないといけないな・・と思っている点があります。

私は自分の信仰について「結構良い方」だと思っていることが度々あります。

結構良い方。決して悪くはない。まあまあ良い。多分、良い方・・

どうしてかと言うと、

私は毎朝、どんなにしんどくても早起きしてデボーションをしています。

自分の事以上に、他の人のとりなしの祈りをしています。

人に対しても、まあまあ親切な方だと思います。

クリスチャンであってもなかっても、よく相談されます。

悪い事、悪い考えをしないように心がけています。

嘘もつかないようにしています。

良い神の子でいたいと願っています。

主に喜ばれるしもべとなりたいと思っています。

伝道もします。

・・簡単に言うと、とりあえず、自分の信仰面において「この部分、直さないとな~」という点が特に思いつかないし、

主が私を見てそんなに悲しまれていない気もするし・・だから結構良い方なのではないかと安心してしまう事があります。

この状態‥本当は凄く危ない状態です💦

 

私たちは罪人なのです。

もちろん、主に罪を告白し、主が私の神であると告白し、罪は赦されています。

しかし、日々罪の中にあるのです。

私はいつも正しく生きようと努力します。出来る限り良心に従い、主が悲しまれないような選択をしたいと思っています。

私は、自分の良心に従って、自分を見つめ、自分で勝手に合格点を出しているのです。

良心は、主が下さったものですが、良心の基準は人それぞれ違い、絶対的なものではないのです。

絶対的なものではないものを基準に判断し、安心しているのです。

私が持つ価値観、考え方、判断力、感情・・全てにおいて正しい状態だとは言えないからです。

罪の性質を持って生まれ、罪人に育てられ、罪人の世界で成長してきました。

その中で培われた価値観です。

主がこれが正しいと言われた価値観ではなく、世の中で正しいとされている価値観を身に付けて来たのです。

私は、小学校2年か3年生ぐらいの時、社会見学で博物館に行きました。

そして博物館に入ってすぐ「日本一足の数が多いタコ」がホルマリン漬けになっていたのを見ました。

当時私は小学校低学年で体が小さく、そのタコを目の前にして怖くて動けなくなったのです。

記憶では108本。(足の数やタイトルは子どもの記憶なので定かではないです)

目の前の自分の背丈の何倍もあるタコを目の前にし、その博物館の中での自由時間の間、ずっと立って動けなくなりました。

その間、私は頭の中で沢山想像しました。このタコが泳いでいる姿。私がこのタコに捕まえられる姿・・この様な想像を繰り返してしまったのです。

その後、規則正しい配列を持つものに対して怖さを感じます。

「集合体恐怖症」です。ハチの巣や蓮とか・・

それを見た瞬間、怖い、気持ち悪い・・という嫌悪感を通り越して、、間違えた命の選択をしたくなるのです。

これは本当に間違えた感情であり、判断であり・・私の中で歪んだ感情なのです。

主は、自然界にこのような規則正しい配列を持つものを、すごく沢山想像されました。

主は「美」としてそれらを創造されているはずです。

しかし私は、本来「美」であるそれらを目にする時、命が奪われそうになるのです・・

完全に私の判断、感情が歪んでしまっているのです。

私は「虫」も苦手なのです。

虫も主が創造されたのです。主は「美しさ」を持って創造されたと思います。

しかし私はその虫を見て「怖さ」を感じるのです。虫にも配列を持つものが多く、

また怖さを感じる経験をしたからです。間違った感情をインプットされているのです。

私の間違った感情は、命にも関わる問題なので、もちろん祈って凄く癒されました。まだまだ難しさはありますが、自分の感情が大きく間違った方向に引っ張られないようになりました。

私たちが感じる・・

食べ物の好き嫌いも同じかもしれません。

腹を立てるポイントや、凄く落ち込むポイントなど、人それぞれです。

それらも今まで生きて来た中で傷ついたり孤独にされたり・・色々な経験から生じたものです。

本来主が私たちを創造された時に感じるであろう感情とは違っている事が多いと思います。

天国で主が私を正された時(完全に癒された時)、本来の物の見方、感じ方が出来るように思います。

私たちは、少なからず皆が、

曲がった価値観を持ってしまっています。

傷ついた感情を持っています。

基準が正しくない考え方や判断力なのです。

ですから、

自分が「結構良い方」と安心している時は、決して安心して良い時ではなく、祈れていない時なのです。

祈っていても、深く主と交われていない祈りの状態なのです。

主と深く交わる事により、自分の中に悪があると気付くのです。

主と深く交わる事により、価値観が正しくないと気付くのです。

主と深く交わる事により、考え方や判断力が正しくないと気付くのです。

主と深く交わる事により、自分の感情が正しくないと気付くのです。

主と深く交わる事により、自分が謙遜になり小さく低くなるしか・・ないのです。

信仰は安心してはいけないのです。

自分の中に主とはかけ離れた価値観、判断、考え方、感情が潜んでいると記憶する必要があり、私たちは主の前で罪人なのです。

決して、罪から離れる事が出来ないのです。

それらを、主と交わりを通して知ることが大切なのです。

今日も、祈りを通して主と交わり、主の価値観を得れる一日をお過ごしください!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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