神さまの試練か、サタンの攻撃か【ルカ22:31-32】

2023年

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

ルカ22:31-32

次男が昨夜、教会から帰って来て

「神さまからの試練と、サタンの攻撃ってどう違うの? どう見分けるの?」と聞きました。

私「どうして見分けたいの?」

次男「だってどっちから来たのか知りたいと思わない?」

この2つの共通点は、

自分に困難が生じたり、自分に痛みを感じるのです。

それらは、私たちを苦しめ、悲しみを与えます。

主を遠くに感じ、まるで主は居られないのではないか…という思いまで生じ、孤独な時間を過ごす事が多いと思います。

主からの試練だったとしたら、それは主が私に何かを教えようとされている、

だから辛くても受けなければならない。

主からの語りかけだから…

サタンの攻撃だったらどうでしょうか。

聖書を見るとサタンが人を選ぶことがあります。

ヨブに目を付け試練を与えています。(ヨブ1:8~)

ペテロも鶏が鳴く前に、主を知らないと3度言ってしまうのも、サタンが振るいにかけたのです。(ルカ22:31)

サタンからの攻撃の場合、主がそれを許されているのです。

主の試練は、私たちに何かを教えようという思いから試練が始まっています。

サタンは、人を滅ぼそうという思いから攻撃するかもしれません。

しかし、主がそれを良しとされたから苦難が生じているのです。

良くない思いから始まった攻撃であったにしろ、主はそれらをも用いられるのです。

主からの試練であれ、サタンの攻撃であれ、

どちらからきたものか…というより、

主がこれらを通して私に何を語ろうとされているのか。を求めるのが良いと思います。

私たちは、ついつい痛む自分の心を中心に物事を見てしまいます。

こんなに苦しい思いをしている。

こんなに辛い思いをしているのに、主は助けて下さらない。

こんなに祈っているのに、主は救いの手を差し伸べて下さらない…

私を含め多くの人は、今感じる痛み、今感じる問題からの解放を祈ってしまうのです。

「助けて下さい。この痛みを取り除いて下さい」

「この問題から解放して下さい」と…

このような祈りは、自分が感じる痛みを視点としての祈りです。

主の視点で考えて見ましょう。

主は、私たちを痛がらせたい訳ではなく、困難を与えたい訳ではないのです。

苦しめたい訳でもない…

痛み、苦しみは通過点であり、主の視点は「語りたい事がある」「教えたい事がある」「祝福をあげたい」というような目的に向かっているのです。

痛みは通過点です。

通過点を取り除いて、ゴールに行く事は出来ないのです。

私も、痛み苦しみという通過点は嫌です。

避けて通りたい…

だから私は、自分に痛みが生じたら

まず感謝の祈りをします。(これは鉄則です。どんな時も感謝から祈る)

自分に与えられているものを感謝する。

自分の命、家族、仕事、友達、住む家、今日の食べ物、今ある健康、罪の赦し、主の子どもとされた事…

考え付くだけの感謝の祈りをします。

そして罪の悔い改めです。

自分が思いつく限りの悔い改めをします。そして自分が気付かない罪もあるので、主に示してもらうように祈ります。

そして、

「主よ。あなたが私に教えようとされている事は何でしょうか。私は自分の心を明け渡します。主が私の王座にお座りください。」

「主が今、私に語ろうとする事、教えようとされている事を、全て私が悟る事ができますように」

「主が示された事を、素直に私が受け取る事が出来ますように、私の心と魂を砕いて下さい。」

と祈ります。

私たちが通過点を過ごしている時、主はどうされているのでしょうか。

何処に居られるのでしょうか。

私はルカ22:61の御言葉が好きです。

『主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。』

主は兵隊に連行されながら、十字架への道を歩みながらも、ペテロが何処にいるのか知っていました。

主の視線は、ずっとペテロの姿を追っていたのです。

3度目に主を知らないと言ってしまったペテロを主はご覧になられていました。

「主が振り向いてペテロを見つめられた」と書かれています。

ずっとペテロを心配されていたのです。

ご自分が十字架の道を歩む時も、今から拷問、十字架刑が始まると言う時までも、

ペテロが何処にいて、ペテロを心配し様子を伺っていたのです。

ペテロがあれ程、強い信仰告白をしたのにもかかわらず、ペテロはいとも簡単に知らないと言ってしまったのです。

ペテロは激しく泣いたとあります。

後悔したでしょう。自分という人間は…と自分に落胆したでしょう。

イエスさまもペテロが苦悩する事を知っていました。

だから今日の御言葉にあるように

私は、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

と言われたのです。

今、苦難の中を歩まれている方…

主が共に居られます。主はずっとご覧になられています。

どうか視点を変えて祈ってみてください!!

主の通過点を早く過ぎ去り、主の目的に到達する事ができますように!

主の御名によりお祈りします!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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