私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
ローマ7:19-20
次男の記録です。
次男は夏休み中です。この夏休みの一番のイベントが教会のキャンプでした。
帰って来るなり「めっちゃ、良かった!」と興奮し、
そして「なんかさ、神学校のユースのキャンプがあるみたい。行ってもいい??」と言うのです。
そして先週、初めて教会以外のキャンプに参加しました。
参加する前に「課題を持って参加してね」と伝えました。
単に期待して参加するのも良いけれど、〇〇について教えて欲しい!〇〇について主の思いを知りたい!と言ったように、漠然としたものより、自分なりの課題を持つ事が大切!
次男は「もー分かってるよ!」と言い、どの様な課題なのかは教えてくれませんでした。
そのキャンプが終わり、「めっちゃ良かった!本当に良かった!!」と興奮。
実際に何が良かったのか?と聞いても、言葉を濁します💦
そして昨日、教会に行く道中、車の中で「今日さ~ ワシ、キャンプの証なんだよね~」と言うのです。
「え…?準備してないんじゃないの?」
「頭の中ではまとまってるんだけど、一回聞いてくれる?」と言い、話し始めました。
以下、要約です。
『今回のキャンプには、2つの目的を持って参加しました。
1つ目は、教会以外のユースの交流を深めたい。
2つ目は、牧師先生のメッセージを通して、神様が僕に語りかけて下さいました。
自分の中で1つ課題をもって臨みました。
それは自分の中にある「罪の意識」についてです。
僕は教会では、楽器の奉仕をしたり、賛美リードをさせてもらったりしていますが、
教会を出て日常に戻ると、世の中の誘惑や自分の欲に負け、神様のことを忘れてしまい神様が喜ばれない行動をしてしまっています。
僕は犯しては行けないと思いつつも、罪を犯してしまっている自分の弱さや、罪の意識にずっと心を痛め、それを課題としてキャンプに臨みました。
すると二日目の朝の集会でこのような御言葉を与えられました。
ローマ人への手紙7:19〜20です。
この御言葉によると、あのパウロでさえ犯したくない悪を犯してしまっていて、それは自分の心の中の罪によるものだと書かれています。
牧師先生はメッセージを通して
「この自分の心の中にある罪の意識とは、イエスさまが思い出させている記憶なんだ。
そしてその記憶は、それを思い出す度に、僕たちの心を痛めさせる為に思い出させているのではなく、
それを思い出す度に、僕たちが神様の愛に、イエス様の十字架に、立ち返るた為に思いださせて下さる為に与えられてるんだ。」と言われました。
このメッセージを聞いて、
本当の意味で心の底から神様の愛に気づき、御言葉がストンと心に入り理解しました。
僕は直ぐに主を忘れ、罪を犯してしまい、十字架から離れてしまい、苦しく感じてていましたが、
そうでなく、
この心の葛藤は、もう一歩、僕が十字架に近づき、僕が十字架に立ち返る「チャンス」が与えられているんだと気付きました。
僕はこの事に気付き、僕の神様は本当に偉大な愛を持っておられ、その偉大な愛を僕に注いでくれているんだと気付き、これがどれほど喜ばしいことで、嬉しいことか気付かされました。
この喜ばしい知らせを他のまだ神様を知らない、
神様を求めている人たちに伝えていきたい!!という思いも与えられました。
自分に近い身の回りの人達を始め、日本全国に神様の愛を伝えたい!!と思いました。』
…以上です。
この証を聞けて本当に良かったです。
自宅では、高校生の息子が母親に心の中を全て見せる訳ではないのです。
自分で自分の課題をしっかり持てているんだ… 自分の課題を分かっているんだ…という事が分かり、ちゃんと主の中で成長しているんだな~という感謝な思い。
そして、本当に課題を持って参加した次男に向けたメッセージを主から与えて貰えた事。
そしてその主からのメッセージは
「あなたは、教会を離れると直ぐに私(主)を忘れるよね!ダメだよね。もっと頑張らないと!」というようなものではなく、
自分が感じる罪の葛藤が、苦しみが、主が自分を責めているのではなく、主の愛に気付いて欲しいというメッセージだったという、主の答え…
主は本当に素晴らしい…
証を終え、自宅に帰って来た次男は、
「あーーどうしよ!! もう時間がない! 焦るわーー クリスマス礼拝まで後4ヶ月しかない💦」と言っていました。
もう頭の中は、ユースのクリスマス礼拝に向かっているようです。
今日も、時折、主を思い出し…主の愛に何度も触れられる日となりますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」