あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
伝道者11:1
こんな話を聞きました。
イスラエルには湖(海)が2つあります。
イエスさまが水の上を歩かれた「ガリラヤ湖」と、塩分濃度が世界一濃い「死海」です。
ガリラヤ湖は北端からヨルダン川から水が流れ込んでいます。
そしてガリラヤ湖を水が通り、南端からまたヨルダン川へと水が流れます。
そのヨルダン川を通った水が、死海に流れ入るのです。
しかし、死海は他に水を流さないのです。(高温の気候により湖の水面から水分が蒸発すると、残される塩分の量が増加)
簡単に言うと、ガリラヤ湖は水が入って来て、他に流すが、
死海は入って来ても他には流さない。という事です。
ガリラヤ湖は、聖書によく出てきます。
ペテロやアンデレが漁をしていて、イエスさまに声を掛けられ弟子として付いて行った時、そこはガリラヤ湖でした。
ガリラヤ湖は生物が豊かな生活を支える湖です。
一般的な海水の塩分濃度は約3.5%なのに、死海の塩分濃度は約30%~33%
死海では生物は生存できないのです。
名の通り「死海」なのです。
こんなに対照的な湖がイスラエルにあるのか・・と思うと、
主から頂いた愛・恵み・祝福は流さないといけない。
自分の所で止めると役に立たずになくなってしまう・・と感じます。
今日の御言葉、少しこれだけ読めば不可解な部分ですが。
英文(TLB)で見ると
‘Give generously, for your gifts will return to you later.’ (惜しみなく与えなさい。あなたの賜物は後であなたに返ってくるからです)
この個所は、ルカ6:38に通ずるものがあります。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」
私たちの常識では、
入って来たものを流せば、自分に残るものはありません。プラマイゼロです。
入って来たものを大切に持ち続ける事(貯金)により、自分がプラスになるように感じます。
しかし、主の法則はそうではないのです。
与えられたものを人々に分け与える事により、自分にプラスになるのです。
貯め込むと何も残らないのです。
聖書を読むと、このように私たちの常識的な考えと主の常識が違う事が多いです。
このような思考の違いを感じた時・・
私は本当に主から離れてしまっている・・と感じます。
自分が良心をもって考えた事でさえ、主の常識と違う事が殆どです。
という事は、自分の判断で物事を正しく判断できないのです。
自分が
「これこそ、絶対に正しい!!」
「常識的に考えて、これは変だ。可笑しい!」
「自分の主張」
これらは、主の目から見て正しくない可能性が大きいのです。
自分がいくら正論を投じた所で・・・それらは主の目には全く正論ではなく、自分の頭からは到底出てこない正論を主は持たれている・・・
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな(箴言3:5)」
この御言葉、全くその通りだと思います。
またこの様にも思います。
「どうして、こんな事が自分の人生に・・」
「神がいるならどうして・・」
「何故、神はこの様な事を・・」
というような疑問、理解できない出来事なども、
私たちには理解できなくても、主には「理由」があるのです。
主の「計画」があるのです。
私たちは、分からないだけです。
「だったら、説明してくれたらいいのに・・」と思ってしまいますが。
私たちの頭では理解できない事が多いと思います。
主の壮大な計画を理解しきれない・・
理解できる部分だけ明かされてるようにも思います。
聖書を読み、主の基準、主の法則、主の思い、主の考え・・これらを少しずつ学びながら生きて行くしかありません。
目の前に不可解な事が起きた時、「主は私に計画を持っておられる」と信じる事を選択するだけです。
今日も、主と共に1日を歩んで下さい!!
主から頂いた恵みと愛を、喜びをもって他の人に流す1日となりますように・・
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」