主はどの様な時に語りかけられるか【コロサイ2:7】

2023年

キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。

コロサイ2:7

信仰を持って、一番良かったと思う事は何ですか?

罪が許された事。

永遠の命が約束された事。

心の傷が癒された事。

生きる目的を知れた事。

今までに感じた事がない喜びに満たされた事。

祈り求める事が出来る事。

一つ一つが・・・本当に感謝です。

私は若い時、「永遠の命」について、それほど大きな喜びを感じれませんでしたが、

家族や知人との別れを経験し、「再会が約束されている」と言う事に、大きな慰めと希望を感じました。

神の御国が近くに感じるようになり、御国の約束の大きさ、人間にとって「死」がとてつもなく大きな問題であり、

それを私が感じる前から主はご存知で、解決の道まで与えて下さっているんだと感じました。

誰もが同じだと思いますが、例えば「罪が赦される」事は凄く実感できたけれど、「心の傷のいやし」は、まだ実感出来ていない・・・など。

ある部分は凄く主を感じ、満たされたけれど、ある部分はそれほどピンと感じない・・

人それぞれ、全てが一度に深く実感できるものではなく、その時、その時、実感できる時が与えられていると思います。

どうすれば実感できるのでしょうか。

何も問題が無い、おだやかな日常を送っていたとすれば、なかなか主を実感する事は難しいと思います。

何故かと言うと、私たちが必要を感じないからです。

私たちが求める事をしないからです。

日常に問題なく過ごす事が出来るからです。

主は、求める者に与えられる方です。

しかし、主は私たちに、主を実感して欲しい、求めて欲しいと望まれています。

多くの場合・・主が私たちに語られるのは、問題を通してです。私たちは人生に問題が生じた時、主を実感するのです。

主を信じる者、信じない者・・全ての人の人生に「逆境」や「困難」「苦難」「危機」「問題」が生じるのです。

同じように問題が生じても、主を信じる者と信じない者に大きな違いがあります。

主を信じる者には、自分に降りかかる問題に意味がある事を知る事ができます。

主が私に何かを語りかけて下さっている、何かを教えようとして下さっている・・という事を知る事が出来ます。

問題が、自分を苦しめる問題だけで終わらないのです。問題を通して主を感じ、主の愛を体験する事が出来るのです。

苦しみだけで終わらないのです。

しかし、苦しみの中に居る時、主の御心が分からない時は、私たちは辛く感じる時間を過ごします。

出口がない様に感じ、永遠に苦しみから解放されない、方法がない様に感じ・・もがくのです。

時には、生きるという事まで揺さぶられ、不安定な時間を過ごします。

しかし、今は私たちは祈り助けを求める対象を知っています。

私たちが難しい中を通らないといけない時、

主の時を待たないといけない時、

主の御心が分かるまで倒れず待ち続ける時、

助けとなるのは、過去の経験です。

今までの主の導き、主が働かれた経験が、苦しみの中で支えとなります。

元陸上競技選手の高橋尚子さんも

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」と言われていました。

聖書的だな~と思いました。

今日も御言葉は、パウロがコロサイの教会に宛てて書いた手紙。

自分の中に主が根付く事を求め、同時に私たちも、主の中に根を張っていく事を求めています。

「根を張る」と辞書で調べると、

「安定した状態になること。深く広がって、動かしがたいものになる。ある感情や風習・勢力などが定着する。」

キリストに深く根付き、雨風が吹いても揺れ動かされない位、広く深く根を張る必要性・・

主に根をしっかり張り、揺り動かされない信仰を持つのです。

私たちが、問題を抱え苦悩する時間・・

主に深く根を張る時間です。

問題を通して苦悩し・・主の時が来て出口にでれる・・この経験を通して、主に根を張る事ができるのです。時間が過ぎると「過去の経験」として自分を支える根となるのです。

主は遅れることなく、私たちを助けて下さいます。

今、感じる試練は、いたずらに起きている訳ではないのです。運が悪く起きているのでもないのです。

主の語りかけの時間なのです。

この時間を通し、主が私に働かれるのを体感する為です。

主はイスラエルの民を40年間、訓練されました。

「イスラエルの民の神は主である」と知るようにする為です。

1つ1つの訓練を通し、キリストに根を張ることを学ばせたのです。

植物の健康は、根で決まるそうです。

鉢植えの根は放射状に直進し、鉢壁にぶつかると分枝して壁面に網目状に張ります。根は、前に前に伸びようとし、鉢壁にぶつかっても後戻りしません。

植物の生長は根が中心で、根が伸びるから地上部が育ち実を結ぶのです。

私たちにとって苦難は、根を張る時間です。

では、どのようにすれば根を張る事ができるのでしょうか。

感じる苦しみを主の御前に出すのです。

主の前に静かな時間を持つのです。

涙をもって祈るのです。

主の御心を求める祈りをするのです。

今、主が私に何を語ろうとされているのか聞こうとする姿勢。

御言葉を読み、聖書から主の思いを知るのです。

賛美を通して主を仰ぎ見ることを選択するのです。

これらを通して私たちはキリストに根を張る事が出来るのです。

根を深く広く張り巡らせましょう!

これらは、健康的な信仰生活へと繋がります。

キリストに根を張りめぐらせ、揺らぐ事がない信仰を持つことを主は望まれているのです。

苦しみは、主の語りかけです。

逃げる事を考えようとせず、主が今、私たちに教えようとすることを受け入れる事ができますように!

今日も、主の語りかけに心と耳を傾け、歩む一日をお過ごしください!

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