状況や環境に左右されない生き方【Ⅱテモテ4:2】

2023年
Paul ends the letter to the Ephesians, and hands it over to Tychicus (Ephesians 6, 21 - 23). Wood engraving, published in 1886.

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

Ⅱテモテ4:2

ピリピ人への手紙は、パウロが獄中から書いた手紙です。

自分は捕まり獄中に入れられ、これから先、自分の身に何が起こるのか分からない状況に置かれていたのです。

ピリピの手紙の始まりを見て驚きます。

その様な人が書いたとは思えない始まりです。

ピリピの人たちへの平安の祈りから始まり、ピリピの人たちの苦しみを労い、励ましているのです。

もし私が無実の罪で牢獄されたら…

大騒ぎをします。

出来る限りの方法で、一人でも多くの人に祈ってもらえるように願うはずです。

「私が解放されるように。正しい事実が知られるようにと祈って欲しい!!」と。

私なら今ある状況が理不尽過ぎて、主に助けて下さりという弱々しい祈りと、文句の祈りと、混ぜ合わせた祈りをすると思います。

「今、自分を取り巻く環境、自分が置かれている状況が良いものではない」と私は判断するからです。

だから、少しでも早く、正常な環境に身を置きたいのです。

自分にとって不便な不快な環境を早く取り除きたい…

以前の環境が正常なもので、今の環境は非常事態!

以前の環境に戻るようにと祈り求めるのです。

しかし、ピリピ書を読むと、パウロは自分の状況に気を留めていないのが分かります。

パウロは伝道すると言う自由が奪われても、「解放を求め、自由に伝道出来る状態」に戻る事を求めませんでした。

不思議ですよね。

ピリピ書を読むと、獄中にいる人が送った手紙ではなく、豊かな状態で落ち着いた環境のなか、書いたような手紙…

パウロにとって、自由に伝道出来る環境も、身を拘束される環境も同じなんだと思います。

パウロは、この獄中から早く解放される事を望んでいません。(留まる事も望んでいません)

まるで、次の宣教地に来たような感じです。

自分の置かれた環境に左右されていません。

私がこのような状態であれば、ポジティブに今ある環境を受け止めたとしても、

牢獄から出た後の計画を考えると思います。

ポジティブに受け止めたとして、「今は次の宣教について祈り考える時間」…と受け止めるような気がします。

環境に左右されない信仰。

良い環境では、その中で出来る伝道をし、

悪い環境でも、その中で出来る伝道をする。

時が良くても悪くても…ですね。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(Ⅱテモテ4:2)」

環境、時代、置かれた状況を言い訳にせず、その場で出来る伝道をする。

今置かれた場所でするべき事がある。

今置かれた場所で、出会うべき人が居て、福音を伝える人がいる。

今置かれた場所で、とりなすべき人が居る。

直ぐに、自分を安全な場所に戻す事を求めず、「今ある場で主が私に何を望まれているのか」を考える。

パウロは福音に生き、いつも溢れる喜びを持っていました。

そして、この喜びが彼を支える力となったのです。

ということは、私たちも自分の居場所や環境に左右されず、主からの溢れる喜びを感じ生きていく事が出来るという事です。

私の今置かれている状況と環境…

まず感謝し、今しか出来ない事をしていきたいです!

今日も、主と共に歩み、今、自分にしかできない御心を行なえますように!

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