あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイ6:24b
昨日に「献金やお金」について少し書きました。
もう少し続けて書きたいと思います。
お金には力があります。人を引きつける力が💦
もっと言えば、信仰を引き離す力もあるのです。
今日の御言葉を見ると、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」とあります。
わざわざ、主と富とを引き合いに出し書かれているのです。
それ程、お金は人に与える影響力が大きいのです。
お金を手にして幸せを感じたり、自分が価値のある人間に感じたり、反対に失った時は自分の価値も下がったように感じたりするのです。
何かに成功し富を手にした時は、最高に気持ちよく、生きている事が素晴らしく感じたりもさせてくれるのです。
時にはお金が人の命を奪う事もあります。
それ程、私たちにとって心だけでなく、生命にまで影響を与える存在なのです。
聖書にお金についてどの様に書いてあるでしょうか。
聖書の中で「富」と検索すると、沢山の御言葉が出てきます。
その中でいくつか記録しようと思います。
富を得ようとして苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。(箴言23:4-5)
お金は、翼を付けて空に飛んでいくものなのです。
捕まえて自分の懐にずっといてくれるものではないのです。
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい(へブル13:5a)
私たちは経済的に難しい時ほど、主を思い出し祈ります。しかし、経済的に問題が無い時は、主を忘れお金を使う事を楽しんでしまいます。
お金を愛しすぎると、主から心が離れてしまうのです。
今与えられているものに満足を覚えるべき存在だと記憶する必要があるのです。
この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように(Ⅰテモテ6:17)
人は富むと高ぶってしまったり、富に望みを置いてしまう可能性が高いと書いてあります。
確かに豊かであれば「安心」してしまいます。
私たちは、お金の心配をせず生きていけたら・・・と願います。それは「安心」して生活したいからです。
お金の心配からの解放は、「安心」を求めているのです。
安心は、お金から得ようとするのではなく、主に求めるもの・・・
主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを(エレミヤ9:23-24a)
富む者はどうして誇りやすくなるのか・・
富を得ようと努力したからだと思います。
人一倍の努力と時間を使い、手に入れたから。
しかしその努力が結果的に、主に喜ばれない生き方になってしまうという忠告です。
自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです(マタイ6:19-21)
懸命に宝を集めても、私たちはこの世で長く住めて100年・・
これは永遠に住む神の国と比べると、一瞬の時間に過ぎないのです。
であるなら、永遠に住む神の国に今から宝を積むべき。
この地上で豊かに生きる事に気を取られてすぎず、永遠に住む神の国で豊に住む事に気を配りたい・・
心を永遠の神の国にフォーカスするべきなのですね。
イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(マタイ19:21)
神の国に宝を積む方法です。
自分の富を貧しい人に与え、主に従う人生を歩む。
気を付けないといけない点は、この対象は「富が豊かな人」だけではないのです。
全ての人に対してです。
お金持ちになったら・・自分が食べていけるようになったら・・ではないのです。
「自分の全てを捧げなさい」という意味ではないと思います。
「自分より難しい状況にいる人」に配慮する。
「その人を思うという行動をする」という意味だと思います。
金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。(伝道者5:10)
結局のところ、富は私たちを満足させる事は出来ない・・と書かれています。
富を得て最高に気分が良くなったとしても、それは儚い一瞬の思いなのです。
富を得てその儚い思いを経験するのではなく、経験なくとも記憶し続けたい御言葉です。
・・私は「経済的な問題から解放してください」とよく祈っていました。
その祈りの本心は「困る事がないようにして下さい」という意味でした。
しかし、今日もう一度お金について黙想し、
「お金に心が捕らわれる者になりませんように」という祈りに変えないといけない・・💦と思いました。
「 空の鳥を見なさい。・・・あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです」(マタイ6:26)
そうです・・空の鳥、野のゆり・・これらさえ主は養って下さる方。
この方を今日も信じ、共に歩む一日となりますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」