わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰って来る。
エレミヤ24:7(口語訳)
今、エレミヤ書を読んでいます。
この御言葉に、ハッとしました。
新改訳には「彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである」とあり、
新改訳2017は「彼らが心のすべてを持ってわたしに立ち返るからである」と書かれています。
イスラエルの民は主に反してカナンのあらゆる偶像礼拝を取り入れ、国中に偶像の宮を建てました。
またイスラエルの指導者たちも十戒を守らず、社会は不正がはびこっていました。
預言者エレミヤは神さまの予言をしました。
「北(バビロン)からの攻撃に遭い、イスラエルの民は捕囚となる」と。
主が・・・バビロンにエルサレムを征服させ、民を捕囚としたのです。
しかし、この御心に従いたくない。捕虜となりたくないと思う人がいました。イスラエルの地に残ったり、エジプトに逃げた人がいました。
ユダの王ヒゼキヤや高官などです。
主の御心は、民全てが捕囚となる事だったのです。これは預言者エレミヤを通して語られているので、主の御心であると明確なのです。
・・・とても辛い御心ですよね💦
しかし、御心に従えず、自分がイスラエルを守るという思いや、捕虜として苦労したくないという思いで、御心に従わなかった人たちがいたのです。
主は罰を与えるというより、イスラエルの民が主のもとに帰って来る事を望み、訓練として捕虜としたのです。
今日の御言葉の前(5-6節)に、
「ユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。」と言われています。
試練や苦難だけを与えるとは言われませんでした。民を「良くする為」に主が働かれるのです。
試練や苦難を通して主が語ろうとしている事があるのです。
試練や苦難は主の計画の一部であり、私たちの信仰を成長させるものなのです。
自分にとって見た目に良くない、苦労する様な感じがする、都合の悪い・・その様なものが、御心だと言う可能性があるという事を教えています。
私たちが遭遇している、避けたい出来事、通りたくない試練・・これらの中を通る事が主の御心かもしれません。
自分の目に嫌なものであっても、これらを私の前に置かれたのは主であり、
主が良しとされ、今、私の前に苦難が訪れているのです。
苦難はいたずらに起こるのではなく、主からのメッセージなのです。
メッセージを受け取らず、苦難だけを受け取らないようにしたいものです。
苦難の中、私たちがするべき事・・・
‟一心に” 主のもとに帰ること。
‟心を尽くして” 主に立ち返ること。
‟心のすべてを持って” 主に立ち返ること。
なのです。
この7節の御言葉を読んで、これはある意味、日々必要な事かもしれないと思いました。
私たちは「主を信じます」「主よ、愛します」と告白しながらも、
他に心を奪われたり、聖書通読や祈りを後回しにしたり・・
御心ではないと分かっていながらも、欲に従い突っ走ってしまう事があります。
日々・・一心に主のもとに帰り、心を尽くし、心のすべてを持って主に立ち返る必要性があると思います。
「主よ。愛します」と告白しても、
私たちの心は直ぐに誘惑に負けてしまう弱さを持っているのです。
今日も、一心に主に向かって歩む一日となりますように!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」