「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。
へブル3:13
人間関係に疲れていませんか?
心がかき乱されたり、ストレスを感じたり・・
これは、クリスチャン同士でも感じるものです。
ですから、ノンクリの方とも摩擦があるのは仕方がない事なのでしょうか。
人それぞれ、個性があるように話し方や話す内容。また反応にも癖があります。
以前も一度ブログに書いた友達ですが、何を話しても自分の不幸話へと引っ張る人がいます。
「こんな良い事があった!」と話せば「良いよね~私なんてさ・・・」と会話を持っていかれ、
反対に「も~聞いて!こんな大変な事があった!」と話せば、「えーあなたはまだマシだよ!私より・・・」となるのです。
何かにつけて、自分の話をしたがるのです。
結局、周りの人はこの友達との会話を楽しめなくなり、距離ができるのです。そして彼女は距離を感じ、一層寂しさを覚えるのです。
以前、私たち夫婦は「里親」をしていました。里子が家にいたのです。
(「里子」とは「養子」と違い、子どもの親権は実親にあり、実親が育てられなくて一定の期間、里親登録している家庭で育てられる子どもの事。短期の里子、週末里子、長期里子がいます。)
何名かの里子を育てた事があり、内1人は、
2歳の時に児童養護施設から来て、3年半の間、我が家にいた男の子がいます。
長男が小学校5年で次男が5歳の時です。
この子は、「怒り」を持っていました。凄く強い怒りです。身体は凄く小さいのに、怒りのパワーが体の隅々まで詰まっている感じでした。
2歳児なのに「怖い・・」感じてしまう時がある位・・暴れ方も・・大変でした。
しかし、夫の前では凄く良い子なのです(笑) 女の人に対して怒りがありました。
私は人生で、この子との人間関係が一番難しかったように思います。
人それぞれ、育った環境も違い、受けた傷も違います。沢山の影響を受け、性格や人格が形成されていきます。
相手にも傷があり、自分にも傷があるのです。
どの様に付き合っていけば良いのでしょうか。
何に気を付けて付き合えば良いのでしょうか。
神さまは、この世を創造された時、
まず、光を造り、天と地を造り、地と海、太陽と月、海と空の生き物、地上の生き物を造りました。
そして最後に人間、アダムを造ったのです。
主はご覧になり「非常に良かった」と言われました。
しかし、アダムが一人でいるのは良くないと思われ、エバを造られ与えられたのです。
人間が一人で生きるのを望まれなかったという事です。
親や子、配偶者や友が必要なのです。
互いに愛し合い、互いが助け手となる関係を持つように、私たちを造られたのです。
いがみ合う関係ではなく、良い関係を持つようにと望まれ、造られたのです。
しかし実際、主が望まれているような関係を持つことに難しさを感じたりします。
どうすれば、主が望まれている関係を持つことが出来るのでしょうか。
方法は一つではないと思いますが、今日読んだ聖書の箇所にもそのヒントがあるように思いました。
「日々、互いに励まし合う」と言う事です。
何か相手に問題があった時に「励ます」のではなく、「日々」「今日」励ますのです。
私たちは、どうしても相手が持っているマイナス的な部分に目がいってしまい、マイナス的な部分に心が奪われます。
罪を持つ人間の目や心が、その様に見せ感じさせているのかもしれません。
意識して目の前の人の「励ます部分」に集中するべきなのです。
私たちも、人に励まされれば、良い気分になります。心が前向きになります。心がホッとします。励ましてくれた相手に対して、よい印象が残ります。
こんな言葉を聞いた事があります。
「他人と過去は変えれない。自分と未来は変えれる。」(カナダの精神科医 エリック・バーンの言葉)
私が一番難しく感じた人間関係の相手・・・
年齢が低い分、これ以上したら流石にダメだ・・という限界や常識がない状態です。
自分がしたい事、自分が感じている心の状態を、セーブすることなく思うがままにアタックしてきます。
包み隠すことなく、わきまえる事も出来ない年齢。人間の本心、本質、欲、願望、自分の心の状態、うめきの様なものを、100%でぶつけてきます。
私の目に写るこの子の姿、私の感じる思い・・・これらで対処すれば・・最悪な結果しかありません。
私が変わるしか方法がありません。
しかし、私にも感情があり、目に入って来るものがあるのです。
心からの言葉でなかっても「励まし、愛する」という事・・・凄く大切です。
もともと人間には、人を心から励まし、心から愛する力はないのです。
心からの言葉でなくても、決断です。
「凄いね!」「大好きだよ!」「カッコいい!」「すっごく可愛いね!」「あなたは本当に大切な子ども!」・・・
心からそう思う事は出来ません。しかしこれは、決断なのです。
心が伴わなくても、決断して相手を励まし愛するのです。
心は、、、主が与えて下さいます。
御言葉にあるように「日々励ます」というのは本当に有効です。
相手が大人であっても同じです。
もし、愛情表現は本心からしかダメだ・・・と考えるのであれば、私たちは人を愛する事ができなくなります。
相手の状態や態度によって・・愛する事になるからです。条件が付いて愛する事になります。
自分の心が伴わなくても、、、いいのです。
主は私が決断することを望まれているのです。
今日も、隣人を「励まし愛する」事に、心を寄せてみてください。
主が必ず働いて下さいます!