主の不在感を感じる時【へブル3:14】

2022年

もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。

へブル3:14

信仰につまづきを感じた時、どうしていますか?

何か最近・・主を遠く感じたり。信仰生活がパッとしなかったり。ついこの前まで感謝で満たされていたのに、その心は何処に行った??とか、感じた事ありますよね。

私は、「あれ? 何か最近、感謝を心から感じてないな」とか、「今日、凄く(主に対して)テンション低いな」と軽く感じることもあれば、

一気に全てが嫌になってしまう事もあります💦

信仰って「放物線の様な波」がありますよね。上がったり下がったり。

波が上がっている時は、全てが感謝で心が満たされます。しかし、波が下に下がった時、急に神さまの不在感が押し寄せてきます。

ずっと波を下げずに保てないものかと思います。

波が下がっている時は、苦しく虚しく感じます。全てが嫌になったりもします。下がって欲しくないです。

しかし、私はこの放物線のように描かれる波は、そんなに悪いものではないようにも思います。

重要なのは下がった時・・・

どうするかが、大切だと思います。

感じる気持ち、そのままで時間を過ごしたら、落ちるところまで落ちるのです。

放物線は低迷してしまうのです。

私は信仰が低迷しかけたら、絶対にすることがあります!

➀まず、自分が好きな賛美を少し大きな音で聞く。

②「主を信じる前の自分」を思い出す。

③聖書を読む。もしくは覚えている聖句を口ずさむ!

賛美は重要です。特に一気に低迷してしまった時は。

賛美を聞き、口ずさむ事によって、気持ちを少しだけでも前を見えるように整えるのです。

そして、「主を信じる前の自分」・・自分がどれ程、虚しく生きていたか。その時の日々を思い出すのです。

そして自分が「クリスチャンになって何が変わったか」を考えるようにしています。

日々、苦しく「感謝」とは程遠い人生だったのに、主の愛と恵みに満たされ「感謝の日々に変えられました。

また主を信じてから感じた、苦難や苦しみには理由があり、全てが主の計画の中に自分が存在出来ていることを感じました。

「試練」は練られた品性が生まれるきっかけとなることを知り、苦しい時にも希望が持てるように変えられたのです。

昔の自分には絶対に戻りたくない・・・主がいない人生を選びたくない・・・という思いが湧き起こります。

そして、聖書を少しでも良いので読むか。または覚えている聖句を声に出して言うのです。

聖句は何でもいいです。口から出した聖句は、もっと自分の物へと変わり、聖句の力を帯びるのです。

放物線が低迷した時、私は主の恵みと今までの導いを思い出し、主を心に刻むタイミングです。

信仰生活、何度も何度も低迷すると思います。

それは、主の恵みを心に刻むためです。

昔の自分と、主にあって生まれ変わった自分を

何度も何度も確認するのです。

 

信仰の低迷は、私たちが「主から離れないように」というメッセージだと思います。

信仰から離れないようにするのであれば、常に私たちを満たし、放物線の絶頂の状態にしてくれたらいいのに・・って思いますよね。

「主を信じます」と告白し、その日から常に絶頂で、気持ちが低迷する事がなければ、スイッチをOFFからONに切り替えたロボットのようです。

低迷するからこそ、主を信じた頃の「最初の確信」を再確認出来るのです。

「やっぱり主が私の主だ」と。

もう一度、私たちは主を選ぶのです。

信仰が低迷するは、主が与えられたものなのか、それとも悪の攻撃や誘惑なのかは分かりませんが、どちらにしろ、主がゆるされたから自分の身に起こっている事です。

信仰の低迷は、不信仰を引き起こし主から遠ざかってしまう可能性があります。

そのような危ない橋を渡らす主・・・

主は私たちを信じて下さっているのです。

私たちが主を信じていると思いがちですが、主も私たちを信じて下さっているのです。

「こんな低迷期で、我が子が私を離れるはずがない・・」

「この低迷期を乗り越えて、もっと私の近くに来なさい」

「私はあなたを信じている」

「”最初の確信”を思い出して!」

「もう一度、私を選びなさい」

「私を何度も心に刻みなさい」

信仰の低迷も、主の愛だと思います。

私は、数日前に主からのこの愛をもらいました!(笑)

今日も、主に導かれる一日となりますように!!

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