もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。
へブル3:14
信仰につまづきを感じた時、どうしていますか?
何か最近・・主を遠く感じたり。信仰生活がパッとしなかったり。ついこの前まで感謝で満たされていたのに、その心は何処に行った??とか、感じた事ありますよね。
私は、「あれ? 何か最近、感謝を心から感じてないな」とか、「今日、凄く(主に対して)テンション低いな」と軽く感じることもあれば、
一気に全てが嫌になってしまう事もあります💦
信仰って「放物線の様な波」がありますよね。上がったり下がったり。
波が上がっている時は、全てが感謝で心が満たされます。しかし、波が下に下がった時、急に神さまの不在感が押し寄せてきます。
ずっと波を下げずに保てないものかと思います。
波が下がっている時は、苦しく虚しく感じます。全てが嫌になったりもします。下がって欲しくないです。
しかし、私はこの放物線のように描かれる波は、そんなに悪いものではないようにも思います。
重要なのは下がった時・・・
どうするかが、大切だと思います。
感じる気持ち、そのままで時間を過ごしたら、落ちるところまで落ちるのです。
放物線は低迷してしまうのです。
私は信仰が低迷しかけたら、絶対にすることがあります!
➀まず、自分が好きな賛美を少し大きな音で聞く。
②「主を信じる前の自分」を思い出す。
③聖書を読む。もしくは覚えている聖句を口ずさむ!
賛美は重要です。特に一気に低迷してしまった時は。
賛美を聞き、口ずさむ事によって、気持ちを少しだけでも前を見えるように整えるのです。
そして、「主を信じる前の自分」・・自分がどれ程、虚しく生きていたか。その時の日々を思い出すのです。
そして自分が「クリスチャンになって何が変わったか」を考えるようにしています。
日々、苦しく「感謝」とは程遠い人生だったのに、主の愛と恵みに満たされ「感謝の日々に変えられました。
また主を信じてから感じた、苦難や苦しみには理由があり、全てが主の計画の中に自分が存在出来ていることを感じました。
「試練」は練られた品性が生まれるきっかけとなることを知り、苦しい時にも希望が持てるように変えられたのです。
昔の自分には絶対に戻りたくない・・・主がいない人生を選びたくない・・・という思いが湧き起こります。
そして、聖書を少しでも良いので読むか。または覚えている聖句を声に出して言うのです。
聖句は何でもいいです。口から出した聖句は、もっと自分の物へと変わり、聖句の力を帯びるのです。
放物線が低迷した時、私は主の恵みと今までの導いを思い出し、主を心に刻むタイミングです。
信仰生活、何度も何度も低迷すると思います。
それは、主の恵みを心に刻むためです。
昔の自分と、主にあって生まれ変わった自分を
何度も何度も確認するのです。
信仰の低迷は、私たちが「主から離れないように」というメッセージだと思います。
信仰から離れないようにするのであれば、常に私たちを満たし、放物線の絶頂の状態にしてくれたらいいのに・・って思いますよね。
「主を信じます」と告白し、その日から常に絶頂で、気持ちが低迷する事がなければ、スイッチをOFFからONに切り替えたロボットのようです。
低迷するからこそ、主を信じた頃の「最初の確信」を再確認出来るのです。
「やっぱり主が私の主だ」と。
もう一度、私たちは主を選ぶのです。
信仰が低迷するは、主が与えられたものなのか、それとも悪の攻撃や誘惑なのかは分かりませんが、どちらにしろ、主がゆるされたから自分の身に起こっている事です。
信仰の低迷は、不信仰を引き起こし主から遠ざかってしまう可能性があります。
そのような危ない橋を渡らす主・・・
主は私たちを信じて下さっているのです。
私たちが主を信じていると思いがちですが、主も私たちを信じて下さっているのです。
「こんな低迷期で、我が子が私を離れるはずがない・・」
「この低迷期を乗り越えて、もっと私の近くに来なさい」
「私はあなたを信じている」
「”最初の確信”を思い出して!」
「もう一度、私を選びなさい」
「私を何度も心に刻みなさい」
信仰の低迷も、主の愛だと思います。
私は、数日前に主からのこの愛をもらいました!(笑)
今日も、主に導かれる一日となりますように!!