私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
ヤコブ3:2
先日、韓国にいる長男からLINEが来ました。
息子「あのさー、、、お母さんが思う”成熟した大人”ってなに?」と。
私「うー--ん。難しいな~ あー今ふと、頭に浮かんだ言葉があるんだけど・・・」
息子「へー何なに?」
私「何を話すかは知性で、何を話さないかは品性」
息子「へー良い言葉! (聖書に)あったっけ?」
私「あ、聖書じゃなくて💦 スピードワゴンの小沢さん(笑)」と答えると
息子「・・・それも良いけど、聖書から答えが欲しい・・・💦」
私「しばらく考えます・・・」
と言うやり取りがあり、数日「聖書的に、成熟した大人」って何だろう??と聖書を読み、黙想してみました。
「成熟した大人」を聖書的に考えたら、「成熟したキリスト者」
これは、もちろん正解を導き出すことはできません💦 現時点での私なりの考えになります。
成熟したキリスト者ってどんな人なんだろう・・と考えると二人の女性を思い出しました。
1人は私の亡き母親。私が一番尊敬しているクリスチャンです。
自由に教会に行けない状態で、一人で何十年と家庭礼拝で信仰を守りました。私は幼い時から、母親が涙を流して祈っている姿をよく見ました。一日に何度も、1人部屋に入り跪いて祈っていました。自分の信仰を守る事が大変な中、自分の助けを求める祈りではなく、他の兄弟姉妹を凄く心配し祈っていました。愛に溢れていて、実際に愛を行動で示す人でした。
もう一人は、母教会の姉妹です。この方は去年の7月に天に召されました。母教会に通っている時、教会に行って、この方の顔を見るだけで、私の心は穏やかになり温かい愛を感じました。話される一つ一つの言葉に、たわいもない会話の中にも、キリストの愛が溢れていました。私はいつも「どうしたらこの様なキリストの香りを放つ人格を持てるんだろう・・」と思っていました。この姉妹は、召される寸前、呼吸苦が続いたそうです。しかし、不満や否定的な言葉は一切なく「有難いね」「感謝だね」とニコニコされていたそうです。そしてご自分のお子さんたちには、心配をかけている事を詫び、労わり、お礼の言葉しか言われなかったそうです。全てを感謝し、周りの人々に感謝をしながら「天国で会おうね。必ず天国で会いましょうね」と言われて召されたそうです。
人は亡くなる前は取り繕う事ができず、今まで生きてきた人生が反映されるそうです。どの様に生きて来たか、死の間際に現れるそうです。
母教会の姉妹は、決して平穏無事な人生ではなく、苦労が絶えない人生でした。苦労の局面を何度も味わっている方でした。しかし、信仰生活を送る中でも、そのような苦労された方の様には全く感じませんでした。不足なく凄く恵まれ、主に愛されている人生のような姿でした。召される時に見せられた姿も、全くその様な苦労の人生だったと感じさせない召され方だったのです。
この様な生き方こそ、「成熟したキリスト者」と言っていいのではないかと思います。
そう思ったら、成熟したキリスト者とは、
キリストの愛に溢れている人。自分の祈りより周りの兄弟姉妹の為に祈れる人。自分の過去や現在の状況に影響を受けず、与えられた現状に満足し、感謝し、主に満たされている方。
パウロも、自分が獄中に入れられていても、外にいる、パウロよりもっと自由に生きていける兄弟姉妹の信仰を心配して祈っていました。
どうしたら、この様な成熟したキリスト者になれるのでしょうか。
イエスさまは「心に満ちていることを口が話す(マタイ12:34)」と言われました。
今日の御言葉、ヤコブも「言葉で失敗をしない人がいたら、その人は、体全体もりっぱに制御できる完全な人」とあります。
キリストの愛は、自分の内から溢れてでるものです。
心にあるものが言葉として表れ、心にあるものが態度や表情まで表れます。
御言葉を心に蓄え、自分の罪を深く認識し、罪の赦しと癒しを得、
主に愛されているのを心底感じているからこそ、
主の愛が自分の表に溢れ出て、周りの人もその人の存在を通して主の姿を感じるのかもしれません。
長男がいう「聖書的に成熟した大人」・・・
成熟したキリスト者を目指そうと思っているのかもしれません。
皆さんが思う「成熟したキリスト者」、あれば教えて下さい~💦
今日も、主に満たされた一日となりますように!