心を痛めていませんか?【ヤコブ5:16】

2022年

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

ヤコブ5:16

今年の秋に「六本木クラス」というドラマを見ました。(ドラマを見た時にブログに書きたいな‥と思いつつ忘れてました💦)

韓国ドラマ「梨泰院クラス」のリメイク版。もともとはウェブ漫画だったそうです。

ドラマの終盤の方でこのような詞が出てきます。

 

私は石ころ。

炎で焼いてみよ

私はびくともしない石ころ

激しくたたいてみよ。

私は強くて硬い石ころ。

深い暗闇に閉じ込めてみよ

私は独り輝く石ころ

やがて砕け散り灰になって消えていく

そんな自然の摂理さえ跳ね返す石ころ

「生き残った私は、私はダイヤだ」

 

とても素敵な詩ですよね!

「梨泰院クラス」の原作者・脚本家のチョ・ガンジンさんの詩だそうです。

ドラマを見ながら、「うわー-こんなクリスチャンにないたい・・」と思っていました。

ダイアモンド・・・もとは真っ黒な石。

黒い石がダイアモンドになるには、沢山の工程を通る必要があります。熟練の研磨師によって削られ磨かれ続けるのです。

金や、銀も、同じです。もとの石には不純物が入っています。

銀が、純銀に。金が純金になる為には、熱い熱い火を通らなければなりません。

金や銀を、火にあぶり不純物を浮き上がらせます。それを職人さんが流し取り、不純物がないピュアな銀に。ピュアな金に仕上がるのです。

火にあぶられ、削られ、磨きを通してやっと、輝く金、銀、ダイアモンドになるのです。

この様な過程を考えると、本当に主は自然の摂理を通して沢山の語りかけがあるんだなあ~と思います。

主は、私たちにも同じことをされます。

私たちの人生においても、自分のいたらなさ、醜さ、弱さ、辛く、苦しく、時には孤独で、見たくないもで一杯になった心、罪だらけの心、痛む心や体で、涙する時間を過ごします。

その度に私たちは、主によって磨かれているのです。

私たちにとっての熟練の研磨師は主なのです。

私たちの、真っ黒な石のような、罪にまみれた心や体を綺麗に洗い流し、傷ついた部分を新しくしされます。

真っ黒な石が輝きを放つダイヤモンドのように変えらえるように、私たちを磨き輝く姿に変えて下さるのです。

私たちが主によって新しくされ、「地の塩」「世の光」となる為に。

今も、自分の罪に心を痛め、

罪から離れられず、

人に傷付けられ、

人を許せない思いを持ち、

心や体が苦しみを覚え、

自分の中に正しい思いを持てず、

このような痛む心に蓋をしても、痛みは無かったことにはなりません。

取り除かないと、痛みや苦しみはなくなる事はないのです。

これらは、主からの語りかけだと思います。

主は、私たちが自分の心に何を入れているのか、何が入っているのかを直視して欲しいのです。

そして主が今、私たちを触れられ、私たちを癒したくて、新しくしたいと思われているのです。

主に触れられる時、「痛み」が伴います。

それは癒しを得るプロセスであり、私たちが、それらに向き合う為です。

見たくも思い出したくもない自分の過去。

目をそらさずに、主の前に祈りる事をお勧めします。

一番良いのは、、、自分の罪や心の傷を、信頼できる牧師先生に言い表し、祈ってもらう事です。

もしくは信頼できる誰かに話す事です。(危険もあります💦)

自分の弱さを打ち明けるのは沢山の人にではなく、1人でもいいのです。

自分の深い部分を言い表す事は、とても難しいです。勇気がいります。

しかし自分の中にある不必要な不純物は、取り除く必要があります。

良くない物を、いっぱい詰め込んでしまった私の心・・・

新しく良いものを入れる為に、一度空っぽにする必要があるのです。

かたくなに心を閉ざすと、「主の愛」と「主の癒し」は入って来ないからです。

主の愛と主の癒しを得られますように。

罪や痛みから解放されますように。

お祈りいたします。

タイトルとURLをコピーしました