良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。
ルカ6:45
ふと、「私は、どのような実を結べているだろうか」と、思いました。
愛や喜び、感謝が溢れる信仰の実、人を信仰に導く伝道の実、主の香りを放つ信仰の実、社会で活躍しクリスチャンとして存在する実、心から奉仕を喜びと出来る実、主に仕える実などなど、、、
何か実を結べているものはあるのか。自分は何の実を結べるんだろう・・って。
木は結ぶ実によって分かります。自分が何を結ぶ木であり、木の状態まで。
木の状態が良くなければ、良い実は結べない。
根をしっかり張り、良い水を吸収し、太陽に沢山当たる事によって大きく美味しく成長します。
私達の心も同じです。
主にしっかり根付き、主の御言葉を吸収し、主の愛に照らされて、健康的な信仰を持てるのです。
以前は、悪い実しか実を結べませんでした。しかし、今私たちは、良い実を結ぶ木に変えられました。
主としっかり繋がり、豊かな良い実を結び続けていく者になりたいです。
今日の御言葉を見ると、
ルカは「口から溢れ出るのは、自分の心にあるもの」と言っています。
私たちの心を「倉」と表現しています。
その倉から取り出すものが「言葉」なのです。
つまり、どんなものを取り出だせるかは、自分の倉に何が蓄えられているかにかかっています。
人の口は、心に満ちているものを話す・・・と書いてあります。
だったら、使う言葉を前向きなものに変えよう!と思いますが。言葉から変えるのは不可能なのです。可能に感じてもそれは長続きしないのです。
倉の在庫を変えるべきなのです。
私たちが、良い言葉、主の愛に溢れた言葉、思いやりや親切な言葉を出すには、自分の倉に、まずそれらが必要なのです。
自分の倉に無いものを出す事は出来ないからです。
倉に入っているものによって、私たちが結べる実が決まるのです。
自分の倉に何が入っているのか・・・💦
自分が何を取り入れるかによって、自分の倉の中身が変わってきます。
日々のニュース、ウクライナとロシアの戦争や、コロナ・・・また色々な事故や事件。統一教会などなど、一日で収まらない程の「負」のニュースが多いです。
もちろん、負を自分の倉に入れたくないので、ニュースは全く見ない!というのはどうかと思いますが。
世の中の流れに無関心というのは、良いとは思いません。
ただ、どこまでそれに自分の心を持って行くか・・だと思います。
戦争や悲しい事件のニュースを見る時は、「主よ・・」とつぶやきながら見ています。
主というフィルターを通して見聞きする必要があると思います。
また、私の人間関係においても、凄く否定的に話す人、人のうわさ話をよくする人がいます💦
話をすると疲れます。
私は、どうしてもそのような人と会わないといけない時は、あらかじめ何か話題を考えて会うようにしています。
どうしても、直ぐに否定的な話、人の話を口にされますが、「もう、人の話はそこまでにしてさ!(笑)」と切り出し、自分が用意した話題を振るようにしています。
何度かすれば、少しづつ、あ・・こんな話には乗ってくれない人なんだ・・と相手も気付きます。
自分の倉に何を入れいるか・・・
日々、聖書の御言葉と賛美、感謝を入れたいです。入れては出し、入れては出し・・・を繰り返したいです。
また、良い証を聞いた時は、蔵の中でキープ(持ち続ける)したいです。
思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。
という言葉。
聖書的ですよね!
まず気を付けるべきものは「思考」。
この思考も自分の倉から出ると思います。
私は、今日どんなものを自分の倉に入れようか、祈りながら過ごしたいと思います。
皆さんも、自分の倉に良きものを入れる一日となりますように!
良き実を結ぶキリスト者となれますように!