私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
Ⅱコリント2:15
良い証を聞きました!
70代の女性の方が救われた証です。
どうして救われたのか?と聞いたら「思い出したから」とまず初めに答えられました。
自分が学生の時に、大きな悩みを持っていたそうです。
その悩みが心を支配し、学生生活は楽しめることもなく、「死」が頭に過ぎる日々だったそうです。
その様な生活の中で、いつも優しく接してくれる一人の友達がいたそうです。
その友達はクリスチャンで、いつもニコニコとしていて、話を聞いて心配してくれたそうです。
凄く印象に残っていた存在だったそうです。
年月が何十年と経って、また大きな問題が自分の人生に降り注いだそうです。
日々、辛く苦しい中、学生時代に会った友達を思い出したそうです。
あの子が今、横に居てたら・・・何と言って慰めてくれるだろう・・・
久しぶりにその友達を思い出したそうです。
しかし、その友達はもう世を去っています。一層、悲しさが増す日々。
そんな中で、彼女が教会に通っていたことを思い出したそうです。
教会に行ってみよう!!という思いが急に生じ、教会の扉が開かれたそうです。
この友達が蒔いた種、素敵ですよね!
友達は、接し方、態度、存在を通して種を蒔いたのです!
この証を聞いて、思い出したことがあります。
私の母は、私が世界で一番尊敬しているクリスチャンです。
私は、22歳で初めて教会に通い始めました。
教会に通う前、人生の終わりについて少し考える機会がありました。
「もしも、私に神さまが必要になったとしたら、、、私はキリストを選ぶかな」と思いました。
その理由は、母がクリスチャンだったからです。
世界の色々な宗教、色々な神が存在するけれど、私の母が信じている神が本物の様な気がする。
あんなに多くの他人を自分のように心配し、尽くせるのは自力ではないと思うから・・・
そして、初めて導かれた教会で洗礼を受けました。
母の長い長い祈りがあったからだと思います。
父親は、浄土真宗でした。亭主関白な父親でした。
子どもたちが教会に行くのは反対していましたから、幼い時に教会へは行けませんでした。
母親が先に主のもとに旅立ち、その後、父親は9年生きました。
父親は晩年、自分に死が近いと感じました。
病院のベットの上で、私は「お父さん、、、お母さんと一緒の所に行く準備しなくていいの?」と聞きました。
「・・・お母さんと一緒の所に行きたいな」と小さい声で答えました。
短く福音を伝えました。
「全部、知ってる。全部、聞いた。(母から)」と言う父。
そして、数日後、病室で洗礼式を受けました。
私の両親は、すっごく仲の良い夫婦ではなかったです。
自営業だったので、他の夫婦よりもっと長い時間を共に過ごしました。
父が一方的に怒る事が多かったです。
父親から見た母は、毎日のように教会によく行く妻でした。
近所の人たちをいつも気に掛ける、お節介な妻でした。
自分がクリスチャンであると公言して回る妻でした。
父親からしたら、不満が沢山あったと思います。
でも、晩年、人生を振り返ってみて、「お母さんと一緒の所に行きたい」と言ったのです。
これは、単に天国へ行きたいというのではなく、
「自分にもキリストが必要」という答えだと思っています。
生き方を通して、伝道できるのです・・・
母はよく、「キリストの香りを放つ者となれますように」と祈っていました。
私たちクリスチャンが、生き方を通して、存在を通して、
キリストの香りを放ち、「証」出来る者となれますように・・!
今日も、主の中で豊かな一日をお過ごしください!