「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
Ⅰテモテ1:15
自分の人生で、一番素晴らしいものは何ですか?
家族、子ども、仕事、趣味のもの、家、車、学歴・・・?
今から100年ほど前、
スコットランドの医学博士のアレクダンダー・フレミングは、カビの中から細菌を殺す「ペニシリン」を発見しました。
この発見を通して、今まで治せなかった沢山の病気の治療に役立てる事ができました。
1945年、フレミング博士は、ノーベル賞を受賞しました。
沢山の記者に囲まれ「フレミング博士、あなたが今までで発見したものの中で一番素晴らしい発見は何ですか?」という質問を受けました。
「それはペニシリンです!」という答えを期待した、記者たちの質問です。
しかし、フレミング博士は、「私が発見した一番素晴らしいものは、私が罪人だという事です。そして私の全ての罪は、イエスキリストの十字架の血によって許され、私が救われたという事です。」と答えたそうです。
凄いですよね! このお話を知った時、感動しました!
ペニシリンは自国だけに貢献する発見ではなく、全世界、人類に貢献できる発見をしたのです。
その発見よりも「自分が罪人である」という発見の方が、自分の人生で大発見だったというのです。
自分が罪人である・・・分かってるつもりでいる事が多いと思います。
「罪人だけど・・結構真面目に生きている方」「そこまで悪い事はしていない」「まあまあ善良に生きている」と思ってしまっている事が多いのです。
これらは、「他人と比べて、自分はマシな方」という基準にしての考えです。
罪は、人と比べるものではないのです。
主に、罪の赦しを得るのは、クリスチャンになる時だけするものではないのです。
日々、必要な事なのです。
自分では、「結構、良心に従って真面目に生きてます」と思っていたとしても、主もそのように見ているとは限りません。
自分が罪人であると深く認識する為に必要なものは「へりくだり」です。
素直な心でへりくだる事により、自分の罪深さに気付きます。
罪の深さに気付けば気付く程、十字架の血潮の赦し、救いが大きくなります。
自分の罪を心から自覚する事が出来ると、私たちは「喜びに満ちた人生」「感謝に満ちた人生」が始まるのです。
自分がどれほど多くの事を許されたかを自覚出来れば、主から離れられなくなります。主をもっと愛する事が出来るのです。
フレミング博士は、ペニシリンの大発見よりも、自分が罪人であるという事に気付いたのが、自分の人生での大発見だったんです。
自分に主が居て下さり、手を差し伸べて下さっている主が、共に居て下さると気付けたことが大発見。
本当にへりくだり、自分の罪の深さに気付いたからこそ、ノーベル賞という大舞台でもそのような発言がでたのではないでしょうか?
私も、そのような信仰者になりたいです。
今日の御言葉、パウロは自分の事を「私はその罪人のかしら」と書いています。
パウロは、自分の罪を自覚出来ていたのです。同時に、パウロは主を愛して止まなかったという事が分かります。
今日は、自分の罪について考えてみようと思います。
今日も、素晴らしい一日になりますように!