もっと厚かましくなっていいと思います【ヤコブ4:1-3】

2022年

1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。

2 あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。

3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。

ヤコブ4:1-3

 

祈りには種類があります。悔い改め、感謝、賛美、献身、願い、とりなしの祈りなど・・

今日は「願いの祈り」について考えたいと思います。

 

韓国に留学に行ってすぐ、日本のクリスチャンとの違いに気付いたことがあります。

キリスト教書店に行って、御言葉が書いてある壁掛けを買おうと思いました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ5:16-18)」の御言葉が書いてあるものを探しました。どのキリスト教書店に行ってもありませんでした。下手な韓国語でお店の人に聞いてみました。「良い御言葉だけどね~ 多分、韓国にはないね~」と言われました。

何店舗も行って探しましたが、大抵の壁掛けの御言葉は「祝福してください!」という内容の御言葉が多かったです。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。(へブル16:14)」とか・・・ 日本の壁掛けに選ばれている御言葉は、少し「献身」的な御言葉が多いように感じました。日本人には「仕える」という姿勢が「美」であり、好む特性があるのかなと思いました。それに対し、韓国は子どもの様に「祝福してください!」というストレートな御言葉! 民族の違いを感じました。でもこのように、子どものような信仰も素敵だな!と思ったことがありました。

 

聖書には「願いを求めなさい」という御言葉が多くあります。

願いを求める祈りというのは、決して心を咎める必要はないのです。堂々と求めていいのです。

願いを求める祈りは、「信仰の祈り」なのです。

主は、願い求めて来る人々に「あなたの信仰があなたを救った(ルカ8:48)」と答えてくださっています。イエス様は、願い求めることを「あなたの信仰」と言われているのです。

神様のために豊かに用いられた人々は皆、願い求める祈りを重んじました。どんな欠乏の中にあっても、いかなる困難の中にあっても、単純に、力強く、神に願い求めることによって、生き生きとした神の愛、神の力を学び、ますます祈りの人として成長していきました。

「祈りが聞かれた!」 と言うこの喜びが、主に捧げる感謝となります。祈りが聞かれた!と言う この明確な事実が、主への揺るがぬ知識と、信頼となっていくのです。

そうして次第に、そのように経験した者は、自分の必要な祈りだけでなく、隣人の為に祈るようになっていきます。

また、大きな問題に直面した時、主に祈りが聞かれた経験が、困難な中での信仰の大きな支えとなってくれるのです。

 

自分に願いがあっても、自分の願いを祈ることに躊躇する方がいらっしゃいます。

私たちは神の子です。子どもが親に「〇〇が欲しい」というのは自然な事です。反対にそれを言えない子供は、自然な関係ではないような気がします。(子どもが親の経済状況が非常に悪いのを感じてるとか、親が怖すぎで言えないとか)

私たちの天の父は、全てを与える事が出来る方です。また、天の父の方から「求めなさい」と言われているのです。

私たちは、主に信仰告白をすることで、罪の赦しと永遠の命を与えられているのです。

これ以上、最上の願いが存在するでしょうか? この地上で私たちが願うものは、罪の赦しや永遠の命より、もっと僅かなもの、小さなものなのです。 私たちの主は、そのような僅かなものを与える事が出来ない方ではないのです。

もちろん、自分の利益だけを求めるような、御心に叶わないものは与えられません。

しかし、「与えられないのは求めないからだ」とも書かれています。

主が「求めなさい」と言われているのです!

今日も、沢山求める祈りをして、「主に祈りがきかれた!」という経験を通して、感謝と信頼に満ちた信仰を持てるようにしましょう!!

 

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