「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ55:8-9
昨日の続きです。
私たちが、主に祈っても、「どうして主は答えてくれないんだろう・・・」と感じる事があります。
主に、ハッキリした答えや導きを貰えないのは、「私たちの関心事」と「主の関心事」が、違うからかもしれないと書きました。
主にとって、私の目の前にある選択肢より、これからも続く信仰の方に関心があり、私たちの状況を見て、ハッキリした答えを示さない方が、私の信仰にとって、結果的にはプラスになると判断されているかもしれないと・・・
目の前の選択肢より、信仰を最後まで持ち続け、人生をゴールする方が、主にとっても、私にとっても、もっと重要だから。
主は必ず、私たちに良いものを与えて下さるお方です。
しかし、、、
選択肢が自分の目の前にあって、主の御心が、祈っても祈っても分からない時、
時間の経過と共に、疑心暗鬼に陥ってしまい、信仰が揺らいでしまったりします。
御心が分からない時の、私たちの信仰の状態・・・ 主が見ておられます。
「我が子よ。本当にあなたは、私を信頼しているのか?」と言われているようです。
ペテロは、イエスさまが十字架に架かる前に「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言っています。
これは、ペテロの本心だと思います。ペテロは大げさな発言をした訳ではなく、本当にこの時、そう思ったんだと思います。
しかし、人間は、タイミングや置かれた状況により、信仰は直ぐに揺らいでしまうのです。
ペテロは立派な信仰告白を主にした後、直ぐに主を「知らない」と三度も言ってしまうのです。
私たちも、ふとした瞬間に信仰が揺らいでしまう可能性が、沢山あるという事です。
主の導きが分からず、信仰が揺らぐのは、殆どのクリスチャンが経験する事だと思います。
どうすればいいのでしょうか?
信仰の揺れを助ける方法があります。
それは問題が生じる前から、普段から、「主を知る」という事です。
主がどういうお方なのか、沢山知ることにより、段々と信仰の揺れを抑えるのに役に立ちます。
主を知れば知るほど、恵みが増えます。
「主を知る事」と「恵みの深さ」は比例します。
主を知っていくという知識は、信仰生活を歩む上で、絶対に欠かせないものです。
どうすれば、主を知る事ができるでしょうか?
主について沢山書かれている聖書を読みましょう!
健康を保つ為に、私たちはご飯を食べ、睡眠をとります。
それと同じように、霊的健康を保つ為に「聖書を読み」「祈る」必要があります。
身体を健康にしようと、一食だけを栄養バランス良く食べても、直ぐに健康にはなりませんし、
一晩だけぐっすり寝ても、疲れ切った体は一晩で回復しません。成長期であっても、一晩ぐっすり寝ただけで身長は伸びません。
それと同じです。「主を知る」という事も、普段から備えるのです。
継続して知っていく事が大切なのです。
主を知る為に、私たちが出来る事は、聖書を読み、祈ることです!
今日も、食事をするように聖書を読み祈り、睡眠をとるように聖書を読み祈りましょう。
今日も、主を知り、恵みを増やす一日となりますように!